Vol.16 1999



「彼氏彼女の事情」 (庵野秀明監督)

 ありがとうガイナックス、そしてさようなら!

 …なにもそこまで悲観することもないけれど、「彼氏彼女の事情」が「庵野ガイナの事情」と成り果ててしまった最終回には、笑いながら失望した。あーあ、「王立宇宙軍」からずっとガイナを好きだったのに、なんて思っちゃったりして。いや、破綻するならそれでもいい、というかこうなるのは途中から誰の目にも明らかだった。ただ、同じように破綻するのなら、彼らが選ぶべきは、もう言い訳の余地すら失ってケツの穴まで晒して恥をかくぐらいのシロモノであったはず。あの破綻は中途半端すぎ、なにせ僕はエヴァのテレビ版最終回が大好きなのだから。

 「彼氏彼女の事情」の第1話には、再びアニメという舞台に戻った庵野秀明監督が、やっぱりタフな表現者であること見せ付けられた。人は過去の呪縛からどれほど解き放たれることが可能なのだろうか…という僕のやや大仰な問いをスルリとかわし、今までの庵野作品とは全然違うタイプの内容だってのに見事に庵野チック。気楽に楽しめるんだけど、リズムは早く、演出の芸も多彩だ。画面の縦割りもまたやってたし、アニメ中にマンガも挿入してたな。お約束の「テレビを見る時は離れて明るくしてから」って注意が開き直ったかのようにバーンと出てくるとか、エンディングや次回予告が実写だとか、エヴァのパロディーまでやってるとか、悪ノリも痛快だった。少女マンガ風味をさらっと表現するなど、カレカノでは演出の巧さも大きな支えになっていた。個人的にカレカノに期待していたのは、エヴァほどスケールがでかくない分、心理描写をアニメで極めて欲しいということ。エヴァ完結後の庵野監督のインタビューでも、心理描写は失敗したという趣旨の発言をしていたし。

 しかし、最初の2話がえらく面白かった分、その後次第に失速していくのが手に取るように分かったのは皮肉だった。早くも第5話では、アニメーションの概念に喧嘩を売っているような、驚くべき動かなさ加減。誰がこんなスリリングな展開(物語ではなく制作状況)を予想できただろうか。紙だったり写真だったりしながらも、時々息を吹き返したように冴えを見せたりもしたけれど、僕の見方は、一定のレベルの維持を期待することよりも、瞬間的な冴えをどこまで見せてくれるかに移っていくことになった。

 しかし暗雲は広がり、よく分からない庵野監督の降板騒動が。クレジットの「庵野秀明」から「アンノヒデアキ」への変化に、一歩といわず引いてしまった姿勢を感じてしまったのは、単なる気のせいではなかったらしい。ファンを引っ掻きまわし続けたエヴァ、それまでのアニメ・ファンの罵声を軽くすり抜ける快作だった「ラブ&ポップ」。でも、どんなに才能ある者でも同じペースをキープし続けるのは難しい。原作の持ち味を生かそうとして、ある程度は成功してもいたけれど、絶対的なセル量が不足しているために、しばしば唐突な表現手法に転じざるをえなかった。いや、それさえも庵野監督あるいはガイナックスの持ち味として昇華する選択肢もあったけれど、その行き着いた先である最終回は、資金不足で放置された建築現場のような有り様。「彼氏彼女の事情 SPECIAL」という本の庵野監督インタビューによると、月刊ペースの原作のネタが尽きた後はオリジナルのストーリーを展開するはずだったのに、それも無し。あの最終回について厳しい見方をすれば、原作の持ち味もガイナックスの個性も出すことに失敗していたと言わざるをえないのが現実だ。

 庵野秀明という映像作家は、本来ならばそうした失速さえも情況において対象化し、別の意味付けを可能にする才能の持ち主だ。しかし、降板騒動後のアンノヒデアキは、そうした役割さえ放棄した雰囲気だった。過剰な思い入れを持って彼のファンである僕は軽い失望を覚えつつ、「しょうがないなぁ」と苦笑いをするしかない。こんなことが次も起こらないことを願いつつ。

 「彼氏彼女の事情」での最大の収穫は、山本麻里安という「むにゅっ」とした感じの声優と出会えてことだった。と書くなら、なんて淋しい話だろう。

(MAY/12/98)