Vol.15 1999



「或る書評」
 例えばあなたは、薄くはないけれど読み通せそうな厚さの本を1冊買ってくる。たとえそれがテレビ番組でもセミナーでも説法でもかまわない。それが内包するのはひとつの「システム」だ。平易な語り口だけど、時々顔を出すちょっと難解な言葉はあなたの知的好奇心と優越感を満たしてくれる。(ところで今すぐ辞書で「幻想」という言葉を引いてごらん。)そこには世間の常識に異を唱える発言もあるけれど、結局は受け手の精神を肯定してくれるような優しさが一杯だ。そうだよ、僕らは日常的な安寧の中に居つつも平凡を恐れ、自我が揺れるような状況で自身の存在が許されることを求めるんだ。しかも優れた送り手は、受け手のどんな心の動きをも反射し増幅できるような表現を熟知しているから、あなたは安心して自身を投影できる。喜怒哀楽が自己愛と結びついていたら、あなたの情動はナルシズムの形で深い快感すらもたらすに違いない。ひとつのシステムは、ひとつの壮大にして感動的な物語を簡単に与えてくれる。否定と肯定の綴れ織りは美しく、ゆっくりと弱っていくあなたの判断能力。そしてあなたはひとつひとつの論理の検証を忘れ、よもやひとつのシステムの中で自己矛盾が起きていることなど考えてもみない。でも真実を知った時にあなたは怒ってはいけないよ。だって全ては最初からあなたの払った対価相応のサービスに過ぎないのだから。

 僕はそうしたシステムを否定はしないけれど、そこからできる限り遠く離れていたい。だから僕が時々あなたたちの心に響かせる幼稚なノイズを赦して欲しいと贅沢にも願う。信頼する友人たちや愛する恋人へ。

(APR/26/99)