LIVE REPORT Vol.5



栗コーダーカルテット (98年12月16日 南青山MANDALA)
 久しぶりにワンマンを見ることになった栗コーダーカルテットは、「栗コーダーのクリスマス」発売一周年記念クリスマスライブ。「発売一周年記念」と銘打つ辺りのねじれ具合が彼ららしいけど、とにかくも有名無名のクリスマス関係の楽曲が演奏されるクリスマス・ライヴだった。演奏されるのがスタンダードナンバーであってもどこか栗Qらしさがあるのは、ある種の猥雑さがあるからかも。彼らに猥雑なんて言葉は似合わないのは確かだけど、言い換えれば楽曲が本来持っていた陰の要素を減菌することなく解釈して演奏しているのではないだろうか。「リトルドラマーボーイ」では土俗の臭いまで漂わせながら、雪をも溶かす大熱演。スタンダード=退屈、という図式を飄々と覆してしまうのも栗Qの凄さだ。

 ゲストはペダル・スティール・ギターの駒沢裕城とさねよしいさ子。「泣くなよスノーマン」でのスティール・ギターの使い方はとても美く、さねよしいさ子の「天使のほほえみ」は先頃出たシングル盤よりも栗Qヴァージョンの方がしっくりきました。そして彼女は、身体が歌とか音とかで出来ているとしか考えられないほどの歌いっぷり。一見穏やかにして猛者揃いのライヴだった。

(JAN/08/99)



かしぶち哲郎 (98年11月29日 南青山MANDALA)
 ピアノの弾き語りで、一言一言に情感を強く込めて歌う前座の女性歌手の後、金髪だった髪も黒く戻り始めたかしぶちが登場。1曲目の「D/P」を聴いた時には、ギターのアルペジオと歌の不安定さに戸惑ったけど、次第に調子が出てきて一安心。ソロやライダーズの曲が新旧取り混ぜて歌われた。「プラトーの日々」などの曲でチェロリストとの共演もあって、深くて張りのあるチェロの音色と彼のメロディーはとても相性がいい。そして「リラのホテル」のパートでは、日本に帰ってツアー中の矢野顕子がゲストで、アンコールを含めて4曲をかしぶちとデュエット。久しぶりに見た彼女は、痩せたし髪が赤いしで、若返った印象だ。身体から溢れてくるかのように歌い、激しくピアノを弾く彼女は、生で見るとやはり圧倒的。全員揃ってのアンコール「Listen to me,Now!」は特に素晴らしかった。
(DEC/14/98)



鈴木博文 (98年11月21日 銀座PLEASURE SPOT "G")
  ムーンライダーズやTHE SUZUKIなどを含めれば、僕が98年一番ライヴを観たアーティストはこの人ということになるだろう。

 最初は西村哲也と共演。鈴木博文の歌と西村哲也の揺らぐようなギターが絡み合う「青いバス、白い靴と鞄」から、鈴木博文の弾くピアノが緊張感を生み出す「朝焼けに燃えて」への流れは、この日のライヴの最大の聴き所だった。

 中盤からは濱田理恵とHONZIが加わる。ホーカシャン率が高いなぁなんて思っていたら、伊藤ヨタロウも登場して、先日発売されたホーカシャンの「薔薇より赤い心臓の歌」から曲を披露。身をよじるようにして歌う伊藤ヨタロウの姿を見ながら聴くと、歌の世界がCDで聴くより広がるのは当然のことだった。

 鈴木博文の凄さを感じさせられるのは、なんといってもギターで弾き語りをする時だ。つまらないフォークってのは歌とギターが分離していて聴けたもんじゃないが、鈴木博文の場合はそれが互いに共鳴し合って、強烈な磁場を生み出す。それはお世辞にも上手いとは言えないピアノで歌われた「どん底人生」で変わらなかった。

 終盤、彼の中でも1・2を争う名曲である「薬壜と窓」をヴァイオリン入りで聴けたのも嬉しかった。

(DEC/14/98)



ハイポジ (98年11月10日 CULUB ASIA)
  単独では実に2年振りとなった、まさに待望のライヴ。そしてゾロゾロとステージに現れたのは、上下白の服にオレンジの腕章という一団だ。会場内の推定50人がYMOを連想。続いてもりばやしみほも登場して、近藤研二のがサンプラーを鳴らし出す。ハイポジならではの異様に芯の太い低音が鳴り響いて、「ジュンスイムクノテクニシャン」からライヴはスタート。ステージ上のスクリーンに流されるのは、進藤三雄らによるビデオだ。「小っちゃな庭」のような穏やかな曲でも、まどろみの中で強く脈打つようなリズムが感じられて気持ちいい。そして「ムーンリバー」や「ぼくらはひとり」など、ハイポジの2人のボーカル&ギターを中心にした曲が続けば、胸の奥を突つかれた気分になってしまう。後半は「ママになっちゃダメ」などで豪快に盛り上げたりしながら、本編の締めはやはり「身体と歌だけの関係」だった。

 意外だったのは、近藤があまりギターを弾かないでサンプラーを多く演奏していたことで、その点に今のハイポジの方向性がくっきり表れていた。特に「gluon」収録曲のサウンドの感触は、エレクトロやラウンジに近いものもあって、それがあのディープさと同居しているだから、なんとも特異なバンドだと思う。ピアニカやスティールパンなど、楽器の構成も独特だったし。様々な音楽的要素も初期に比べて消化の度合いが更に高まり、その深化には凄味すら感じた。

 初めて彼らのライヴを観たのは9年前。こうして今も音楽的感動を与え続けてくれるハイポジに感謝。

(DEC/14/98)



森高千里 (98年10月23日 神奈川県立県民ホール)
 会場の神奈川県立県民ホールは意外と大きくて、僕のライヴ歴では、再生YMOを観た東京ドームに次ぐスケール。入場前の行列には、何系と分類しがたいほどいろんな人がいた。大スターのコンサートですなぁ。開演前には「今日も頑張ってまいりましょう!」と前で叫ぶ奴が現われて、客席がいい具合になごみ、「流儀」ってもんをみせつけられた気分になる。

 いざステージが始まれば、演奏中はずっと総立ちで、席は単なる荷物置き場。なんかアメーバみたいな形状の物体がステージ上に3機ぶらさがっていて、それが上がったり下がったり、光り発したりしたりして、大掛かりな舞台装置が「コンサート」って感じなのだ。森高のアルバムは数枚しか聴いてない僕のような人間でも楽しめるのは、当然ヒット曲やキャッチーな曲が多いから。客も、曲によっては両手を揺らして踊る踊る。あの場では、森高は現役のアイドルなのだ。思いのほか長かったMCでは、横浜の話題なんかもしつつ、飛んでくるファンの声にもちゃんと答える。客あしらいが上手いんだよね。歌のほかにも、ドラム叩いたり、ギターやキーボード弾いたり、リコーダー吹いたりと、ホントに芸達者な人だ。

 濃い目のエグさみたいなものは思ったほどなかったけど、これほどメジャー感が溢れ出るコンサートは初めてだったんで、その点では非常に新鮮だった。本編ラストで「私がオバさんになっても」を聴いたときには、歌詞の持つ独特のユルさがまさに森高の個性と合致していることに気づき、いい曲だなーと感動してしまったし。「17歳」は、カーネーション・ヴァージョンで演奏されてニヤリ。「雨」も聴けたのは嬉しかったけど、細野晴臣プロデュースの「今年の夏はモア・ベター」からは1曲も演奏されないで終わってしまったのは残念だった。やっぱあのアルバムは、森高的には本流じゃないってことなんでしょうなぁ。

 そう、森高のコンサートはメジャー感が鉄則。そのことを思い知らされつつ楽しんだ。

(NOV/02/98)