CD REVIEW Vol.29 MAY/1999



Baaba Maal "Nomad Soul" (Island)
 アフリカのミュージシャンは、西欧のレーベルと契約した途端、過剰にダンスフロア仕様になってしまうことが多い。ところがこのセネガル出身のミュージシャンの場合、そんなこととは無関係と思わせるほど雄大な音楽を聴かせる。女性コーラスや管楽器の使い方も巧みで、陰影に富んだメロディーやコラの響きも美しい。リズムを途中で止めたりする実験もしながら、ダサくなりがちな打ち込みも比較的うまく処理されてる。アンビエントみたいな曲で幕を閉じる辺りにも、安易なアフリカ音楽のイメージを拒絶する、変化球勝負の意地を感じた。



SALIF KEITA "papa" (METRO BLUE)
 アフリカのマリのミュージシャンの新作は、長年所属していたアイランドを離れて、なぜかBLUE NOTE絡みのMETRO BLUEから。こりゃアンビエントなキーボード音で包まれたような穏やかなアルバムかな…と不安混じりに聴いたものの、頭っから女性ボーカルと掛け合いながら一気に昇りつめるようなテンションの高さだった。

 かつて傑作「soro」で聴かせたような、樹木の根が絡み合うような強烈なバンド・アンサンブルはここにはなく、ドラムの音が単調なのも物足りないけれど、乾いたサウンドの中で勢いを感じさせる。「SADA」は彼が甘いメロディーも得意とすることを思い出させるし、「PAPA」に代表されるように、全体としては踊らせるよりも雄大に歌い上げるアルバム。8分の6拍のスリルがないのが不満だったけれど、最後の「TOGETHER」になって複雑なリズムが展開され始めた。なんだよ、全部こんな音を聴かせてくれればいいのに。



Ron Sexsmith "whereabouts" (Interscope)
 童顔ぽくて内気そうなルックスはお世辞にも冴えた感じではないし、声量があるというより喉の辺りで歌ってるタイプのシンガー。なのに彼の3枚目のアルバムもまた買ってしまったのは、卓越したメロディーメイカーぶりが、そんな彼の雰囲気と融け合って歌の世界を広げているからに他ならない。MITCHELL FROOMとTCHAD BLAKEによるプロデュースは、歌の微妙な不安定さも味にまで昇華している。オルガンや弦・管楽器の響きは瑞々しく、それでも真中に据えられているのは歌とメロディー。胸に滲みて仕方ないのは、僕が感傷的になってるからじゃないさ。



くるり "さよならストレンジャー" (SPEEDSTAR)
 僕はサウンドに色彩感を求めてしまうんで、ギター・ベース・ドラムという3ピース編成のバンドにはあまり興味を持たない傾向があるんだが、くるりの「さよならストレンジャー」は珍しい例外。シングルにもなった「東京」は、歌詞自体は何の変哲も無い言葉が並んでいるのに、演奏されたとたん、情感を「込める」というより「叩きつける」という感じの弾け方をする。

 彼らのキャラクターや曲のタイトルだけ見ると、どこかフォークっぽい雰囲気があるけど、サウンドはそんな予想を大幅に裏切る湿気の無さと騒々しさ。畳敷きのアパートでアメリカのオルタナの洗礼を受けたような世界だ。今までは有能なんだか凡庸なんだかよく分からなかったプロデューサー・佐久間正英だが、ここではうまく荒々しさを引き出していた。

 そして、やかましく疾走感する「オールドタイマー」に「菜の花の香りいっぱい吸い込んで」なんて叙情的な歌詞をのせる岸田繁のセンスに惹かれてしまったのだ。



さねよしいさ子 "スプーン" (MIDI)
 オリジナルのアルバムとしては、93年の「うてな」以来実に6年ぶりの新作だ。その間に自主制作カセット「りんご水晶」が96年に発売されているが、スタジオ録音ではなくライヴ音源を収録したものだった。そして、そんな長い時間の経過を感じさせないほど、このアルバムは和やかにスタート。表題曲の「スプーン」以外はたぶん全曲をライヴで聴いているので、ベスト盤を聴いてる気分で楽しめる。これは素直に嬉しいところ。

 久々のスタジオ録音作だけあって、アコーステック主体だったライヴとは意識的に方法論を変えている部分も散見される。例えば「中央高架下公園」での電車の走る音のサンプリングによるリズムや、「GLORIA」での打ち込み。打ち込み関係は音色的に改善の余地があると感じたが、どの曲も栗原正己による非常に丁寧なプロデュース・ワークで安心して聴ける。「天使のほほえみ」は、矢野誠編曲のシングルよりもアルバムのバージョンの方が好き。さねよしいさ子のボーカルも、歌い踊るライヴを目の当たりにした時のようなインパクトこそCDでは無いものの、さすがの力量と個性だ。

 最大の聴き所は、叙事詩のような「鳥のうた」から悲壮な「GLORIA」へと続く部分の緊迫感。彼女がただの「夢想系ほのぼの歌手」ではないことを、嫌というほど強烈に感じることができる。



広末涼子 "RH DEBUT TOUR 1999" (WARNER)
 広末涼子のライヴを収録した、総時間が約130分に及ぶビデオとCDのセット「RH DEBUT TOUR 1999」で重要なのは、やはりビデオの方だ。CDで生歌だけを聴くのはキツいという問題もあるが、やや中途半端に編集されたビデオにおけるライヴ前後の彼女の言動は、予想以上に「広末らしい」。

 改めて感じたのは、彼女が非常に強い自我の持ち主であるということ。そういう人間なら誰の周囲にもいるもの(あるいは本人がそう)だが、彼女が一線を画しているのは、そういう人間が自分の限界に直面して往々にして味わう挫折の影をほとんど感じさせない点だ。恐らく彼女は、全国の数え切れないほどの少女たちが夢見ているような存在に自分がなっていることも、よく理解しているのだろう。ライヴで客席から観ていた時にはわからなかったけれど、こうしてビデオで観ると、歌っている時もいちいち表情をキメている。微妙な揺れを感じさせながらも、彼女は広末涼子としてのキャラクターの完成度をさらに上げていた。

 最近は広末バッシングが激しくなる一方だけれど、その是非は別として、彼女の言動あるいはキャラクターが際立って見えるのは事実だろう。