Vol.23 (side A) NOV/1998



Talvin Singh "OK" (Island)
 BILL LASWELLと坂本龍一が参加しているというだけでサウンドの感触は想像がつきそうだけど、実際その通りで、ドラムンベース主体のクールな世界。でも1曲目からしてインド古典音楽まで飲み込んでいて、インド音楽の取り込み方は意外とディープだ。同じ在英インド人でも、Cornershopの「インド風味」とはまた別次元。彼はパングラビートの流れを汲んだ人だと思っていたんだけれど、やろうとしているのはインド音楽そのものなのかもしれない。

 こういう交配音楽は、よく同時代的な要素が妙に古臭かったりするんだけど、このアルバムにそんな問題は一切無し。近未来感がテンコ盛りだ。ネーネーズが歌うタイトル曲「OK」は、坂本龍一の「NEO GEO」からファンクを抜いて、そのまんまドラムンベースに仕立てたようなトラックで、この神経の図太さには感心。本人まで呼んでるしさ。



BECK "MUTATIONS" (GEFFEN)
 こっちでもシタールが鳴ってら。どの曲でもずっと変な音が鳴っていて、耳鳴り入りの音楽みたいだ。予想外におとなしく始まって、わりと真っ当なロックが続くけど、遅からずブッ壊れた音もお届け。でもやっぱ歌の上手い人だと再確認させられる。それがあってのこのサウンドだ。

 その名も「Tropicalia」のインチキなカリブ・サウンドに、Talking Headsを連想するのは俺だけか。ノイズが頭に渦巻いてる酔っ払いみたいな男なんだけど、ひなびたムードの「O Maria」とかで、渋く聴かせたりするのも忘れない。気が利いてるね。で、全体的にはやっぱり暴れているという至れり尽くせりの1枚。

 ところでスリーヴの現代美術みたいな作品群、気持ち悪すぎ。いや、カッコいいとも思うんだけどさ。でもウゲーッ。



SPRING "SPRING" (RHINO)
 SPRINGは、Brian Wilsonのプロデュースによるグループで、歌うは彼の(元?)女房とその妹。ライコからの16曲入り編集盤で、まさにBrianって感じのメロディーとサウンドに歓喜の涙も落ちるというものだ。コーラスは飛びぬけてうまいわけじゃないけれど、凝っていながらもポップなサウンドの組み立て方、そして心躍るメロディーにリピート必至。The Beach Boysの「THIS WHOLE WORLD」はやはりいい曲だと再確認してしまうし、「EVERYBODY」ではスペクター風味を感じてニヤリ。



篠田昌巳 "COMPOSTERA" (puff up)
 江戸アケミが死んでJAGATARAが「永久保存」になった90年に篠田昌巳が発表したソロアルバム。学生時代に借りて聴いたんだけど、その妖しいメロディーがずっと僕の頭の中で鳴っていたいた「我方彼方」という曲が忘れられなくて買って来た。押し殺したような熱さが集約された曲だ。

 篠田のオリジナルのほか、クレツマーにオペレッタにヴィクトル=ハラのカバー、さらにジャズやクレズマーやチンドンが同列に並べられた、カテゴライズ不能の音楽。その共通項を一言で表すなら、民衆の生活に根差した音楽であると言えるかもしれない。声高に演説することはなくても、その背景に思想がうかがえるミュージシャンであるという点でも彼は偉大だった。

 サックスは時に優しく時に狂暴なほどむせび、全てをひとつに溶かしてしまう。飛んでいく鳥の目に映る地平のように、音風景は目まぐるしく変わるのは、音楽に境界線なんて持ち込まなかった彼だからこその必然だろう。彼の音楽は、音楽家としての必然以前に、生きる上での必然であったのかもしれない。今聴き直すと、その深さに改めて引き込まれる。



JOJO広重 "君が死ねって言えば死ぬから" (Alchemy Records)
 青空が好きだと口に出すのは恥ずかしく、誰かへの愛を口にすることもまた同じ。子供のように素直な気持ちを表現することは、いつのまにか羞恥心を伴うことになる。それを逆手にとって自分の純粋さをアピールする手もあるけれど、同じ言葉ならもっと心から湧き出た不器用な言葉の方が愛しい。表裏のジャケ、CD盤面の青空が美しくて泣ける。

 ノイズユニット・非常階段のリーダーのソロ作。エレキの弦と指が激しく擦れ合って生まれるノイズは、のたうちまわっているような轟音。それが不思議なほど心地いいのは、感情と演奏の距離が極端に小さいからではないだろうか。

 「グッドバイ」「もう少しだけこのまま」といったラヴソングでは、嘆くように言葉を言い放つ。メロディーなんて無いけれど、だからこそ封じ込められる激情もある。こんな血が噴き出すような音楽、初めて聴いた。



キリンジ "ペイパードライヴァーズミュージック" (wea)
 昔、インタヴューで山下達郎がフリッパーズの悪口を言っていたことがあって、それは「彼らのサウンドの表層的なスタイルよりも、僕等のシュガーベイブの精神性の方がよほど過激だった」というような趣旨だったと思う。この意見に賛同するかは別として、ポップス求道者としての山下達郎の意地を見た気がしたのだが、では彼にはキリンジの音楽がどう聞こえるのか、とても気にかかるのだ。

 ホームリスニング向けの育ちの良さそうなポップスなのだが、その穏やかさにはどこか人を食ったムードがある。いや、このAOR的どキャッチーぶりが逆接的にラディカルでさえある。しかもそれを楽々とこなしてるように見えるんだから困った連中だ。

 それにしても何だろう、「野良の虹」の「女の子のヒップは白くて冷たい」だの「七曲がりなセックスを楽しんだものさ」だのという歌詞は。曲もベッタベッタに甘いソウルだ。思いっきりハマって理屈抜きで激しく愛聴、98年に最も聴いた楽曲のひとつにまでなってしまった。しかもハーモニーやサウンドの小技の聴かせ方も引っ掛かるし、歌詞に使われる言葉をチョイスする感覚も妙で面白い。「野良の虹」なんて、ベースラインを聴いてるだけでも飽きないぞ。

「雨を見くびるな」がオフクースみたいなら、「五月病」ははっぴいえんどみたいだ。でもこの概視感ならぬ概聴感は、マジックというか罠というか。安心して腑抜けになれる心地好さに満ちていて、それだけに油断禁物。



デミセミ クエーバー "「H」天国と地獄の頭文字は同じ" (dohb discs)
 最近は勝井祐二というヴァイオリニストのオルタナティヴな活動が非常に気になるんだけど、このバンドにも彼が参加。他にスティーヴ・エトウもメンバーだ。

 ボーカルのエミ・エレオノーラが歌うのは、歌詞カードとはまったく違う独自言語。頽廃の香りを巻き散らしつつ、無国籍的つまり多国籍的なサウンドがソリッドかつ粘着質に攻めてくる。フリージャズでオルタナでポップ。登場人物が異様に多くて目まぐる場面が変わる演劇を観てるような気分になるのは、過剰な情報量のせいだろう。エセモノっぽさを逆手に取った芸風だけど、これは本物なのかもと思わせられる妙な迫力がある。

 弱点は、ボーカル以外のファッションの服装の詰めの甘さだと言ったら意地悪?