Vol.20 (side B) AUG/1998



フイッシュマンズ "8月の現状" (POLYDOR)
 彼らにとって開放感と閉塞感は同義なんだろうか。96年から98年にかけてのライヴ音源をスタジオで再編集したこのアルバムには、普通のライヴ・アルバムに入ってるような聴衆の拍手や歓声はほとんど無し。生っぽさと後からいじった感触が混在する、なんとも奇妙なレコードだ。激しいのか穏やかなのか、それさえも判然としない音世界。音の粒の粗さと隙間が不安定感を煽って、揺らぐような不安とまどろむような心地良さを同時にもたらす。何かがヤバい。生でライヴを観なければという気分にさせられてしまった。



VARTTINA "VIHMA" (WICKLOW)
 ヴァルティナは、フィンランドのトラッド・グループ。聴くのはこれで3枚目なんだけど、以前は単調に感じられたリズム・アレンジが複雑になってきた。一度聴いたら病み付きになる独特のハーモニーはそのままで、バックのサウンドも進化。ホーミーの入る曲もあるなど、演奏には東欧やアラブ、アジアの匂いもする。前作はやや清潔すぎる印象があったんだけど、今作は時として陰鬱なムードも漂い、ほどよく泥臭い感じがして好きだ。



かせきさいだぁ  "SKYNUTS" (NATURAL FOUNDATION)
 彼の新作が僕の中に入り込んでこない理由はいろいろと思いつく。情報量が多い割に巧く処理できていないとか、サウンドにラップが拮抗できていないとかだ。YMOの「中国女」を連想させるインチキ臭い中国語で曲間をつないでいく構成も面白いと思えないし、サウンド的な面白味も少ないので不利な勝負か。自分で曲やサウンド作れない人の弱みを感じてしまった。歌詞も前作のような文学っぽさが後退した分、いまいち引っ掛かってこなくて残念。これは僕が、ファーストを聴いた時の新鮮さ印象を求め続けてるようなリスナーだからで、趣味の問題なんだけどさ。



MACEO PARKER "funkoverload" (VICTOR)
 JBやPファンクで知られるサックス・プレイヤーのMACEO PARKERのソロアルバムは初めて聴いた。こっちの方面、かなり疎いんだよね。想像していたほどこってりとはしてないけど、クールさの中に汗が浮き出てくるような演奏が気持ちいい。スポットライトを浴びながらキラキラ光る金管楽器が目に浮かんでくるサウンドだ。これがファンクってもんなのか。ラップ入りのナンバーもいいけど、「YOUTH OF THE WORLD」や「DO YOU LOVE ME」みたいなネチっこい演奏の曲が気に入った。



山下達郎 "COZY" (MOON)
 このアルバムの中で一番好きなのは、「ヘロン」のサビに行く直前の手拍子のところ。素晴らしく単純で美しい。ケレン味なしの正統派ポップスにして圧倒的なクオリティーなわけで、僕らの世代からこういうのを作れる人って出るのだろうか。出なくてもいいんだけど。

 相変わらずむせ返りそうな濃度で、「STAND IN THE LIGHT」でのMELISSA MANCHESTERとのデュエットなんて、あまりのAORぶりに息が詰まるかと思った。でも「群青の炎」の高い声の使い方はいいとか、松本隆は誰に詩を書いても松本隆だとか、小理屈は置いといてヘラヘラ楽しむのが吉だろう。

 唯一いただけないのは、73分もの収録時間。昔は長いアルバムは作らないって公言してなかったっけ? 集中力が畜生並みの僕には辛いけど、この長時間プレイ対応への変わり身は、「歌は世につれ、世は歌につれない」という名言を語った彼らしいといえるかも。ゆきゆきてポップス、そんな印象のアルバムだ。