Vol.19 (side B) JUL/1998



JEFF MILLS "PURPOSEMAKER COMPILATION" (REACT)
 PURPOSEMAKER名義での音源を集めた編集盤。相変わらずミニマルでディープなビートを繰り出しているので、ファンはこっちもマスト。全体にアグレッシヴな雰囲気が漂っているが、ソロ名義のものに比べてやや軽さを感じさせる部分があるのが特徴か。

 それでもやはり、ビートに身を任せていれば闇の中に落ちていくような錯覚に陥る。彼の作るサウンドの最大の魅力は、キックの音の気持ち良さと脇から感覚をくすぐるような小技。ビートに反比例するように、頭の中はゆっくりと掻き回される。



Pedro Luis e A Parede "Astronauta Tupy" (DUBAS MUSICA)
 パンツ一丁でパーカッションを叩く(推定)、男気漲るブラジルのバンド。ブラジルの伝統音楽の要素とロックを融合させているというベタな説明をすれば、後は楽しむのみ。サンバやレゲエなど、ヘヴィーなリズムで勢いで貫かれてるが、メロディーはあくまで美しい。明るいばかりじゃない影の含ませ方なんかにしても、意外と苦労人じゃないかと勘ぐらせるに充分。多彩だけど大味じゃないってのも重要だ。



SLAPP HAPPY  "CA VA" (V2)
 この美しさと煌きをどう伝えればいい。けれど、SLAPP HAPPYについて何の知識が何もなくても、冒頭の1曲を聴けば全ては了解してもらえるだろう。厚塗りするタイプのサウンドではないが、どの音もスリルを含みながら、きわどいほどのバランスで組み合わさり、DAGMAR KRAUSEの線が細いながらも優しさに満ちて凛とした歌がそれに対抗する。この不思議な構築感は、他のアーティストではそうそう体験できないだろう。尖った感覚も見事に溶け込んでいて、一見それと感じられないほどだ。暖かで麗しいが乾いていて、新しさも古さも関係無い確固たる世界がここにある。

 この再結成盤を聴いてしまったら、彼らの旧作も聴かずにはいられない。探すのに手間は掛かるだろうが、きっと僕は幸せなはずだ。



水谷紹 "Open - Closed" (EQUIVOCAL)
 かつてファンハウスから2枚のアルバムを出した水谷紹が、今年2月にインディーズで発表した久々のアルバム。ちょっと現代音楽が入ったかのようなサウンドの構築感覚も、男女のセクシャリティーの境界をさまようなねじれた歌詞も健在だ。生きることそのものが抱える恥ずかしさを露悪的なまでに表現し、情けなさも漂わせる歌と、比較的シンプルなのにイメージが広がるサウンドは、ただひたすらに自分の世界を表現しようする姿勢が清々しい。その世界は、透明さと曖昧模糊とした情感が同居して、人肌の温もりがする。彼の吐いた息がそのまま封じ込められたような生々しさがあるけれど、情念の湿気みたいなものはあまりなくて、端正な雰囲気。なのに、聴き終わった後には少し怖くなったりもして、つい繰り返し聴いてしまう底知れなさがあるのだ。



平安隆 "かりゆしの月" (RESPECT)
 元チャンプルーズの平安隆の初ソロ作は、ソウルフラワーユニオンのメンバーが参加。うごめくような「かりゆし」や、ノイジーなうねりを持つ「うとぅるし者」など、味わい深くてエネルギッシュな楽曲が揃っている。最初聴いた時には、かなりの興奮を覚えたほどで、コンテンポラリーな沖縄音楽として非常に優れていると思う。平安隆のヴォーカリストとして表現力は決して高くはないが、時として平板な歌を深い混沌を抱えたバックがサポート。この辺は、プロデューサーの河村博司と中川敬の手腕だろう。

 民謡もあれば、「満月の夕」や「お富みさん」まで歌われる。このヴァラエティーこそが、平安隆にとってのリアリティーなのだろう。



"THE SUZUKI meets KURICORDER QUARTET" (METROTRON)
 97年に川崎市民ミュージアムで行われた共演ライヴを収録したもの。表面的には穏健なようで、音楽的には物凄くアグレッシヴなもが潜む栗QとTHE SUZUKIとの、非ロック的融合が聴きどころだ。

 ほとんどすべてアコースティック編成。「燃えつきた家」では、栗原正己がドローンを演奏し、鈴木慶一が詠唱のようにコブシをまわして、一気にアイルランド風の土の匂いがするサウンドに。また、ムーンライダーズの壮大なナンバー「黒いシェパード」も、すべて生楽器によるスケールの広さを感じさせるアレンジに変貌している。

 オリジナルでは意図的に泥臭いロック・アレンジだったTHE SUZUKIの曲が、栗Qの多彩な音楽的引き出しによって、表情も色彩感も一気に増した名演揃い。アレンジャー集団としての栗Qの素晴らしい能力が見事に表れている。