Vol.2 1997



「ネオ縄文人宣言」 (97年9月5日 新宿ロフト)
 今回の目当ては喜納昌吉のライヴだったのだが、元赤軍派議長の塩見孝也が出るということにも興味を惹かれた。要は、左翼がかったイベントだったのである。

 で、さんざん待たされて開演したと思ったら、いきなり寸劇がスタート。嫌な予感的中で、これが左翼系イベント?これが市民運動モノ?と、最初からへこたれそうになってしまった。次に歴史家の佐治義彦による、縄文文化についての講演が30分。この辺で、床にチラシを敷いて座ってしまった。

 今日の一つのヤマだったのが、喜納昌吉・塩見孝也・佐治義彦によるディスカッション。この「ネオ縄文人宣言」なるイベントの趣旨を知るべく、わりかしまじめに聞いていたのだが、どうもよくわからない。いわく、原始民主制や平和さを保った縄文時代を評価し、現代に生かそうということらしいのだが…。そんなの形を変えたユートピア幻想じゃないのか、という疑問が最後まで消えなかった。この日は土偶のイラスト入りのハンカチが配られたり、縄文グッズが売られたりしていたこともあって、なおさら遅れてきたヒッピー・ムーブメントのような印象も受けてしまった。もっとも、機知に溢れた辛淑玉の巧みな司会をもっても、このテーマを1時間で語るのは無理があったようだが。

 その後元オウム信者の加納秀一と、自称アーティストのAKIRAの歌とパフォーマンス。胡散臭いこの取り合わせは、案の定最悪だった。「仏教ポップ歌手」を自称する加納の歌は、腐臭のするフォークソング。尾崎豊に自己愛200%増量って感じで、ここまでナルシズムが強けりゃ、恐いもん無しだろうという見事なシロモノだ。AKIRAって奴に至っては、自分の腕から流した血で「兄弟」と書くという、恐ろしくベタなパフォーマンス。そんなに愛を唱えたきゃ、お前らでカマでも掘り合え!と言いたくなるほど僕をブルーにしてくれた。

 うんざりしきった後に始まったのが、寿・高橋鮎男・田辺列山によるセッション。これが意外と良くて、特に寿のボーカルの女性が気に入った。決して情趣が深いというタイプではないが、厳しさと潤いを併せ持つタイプの歌声だ。メンツのそれぞれの豊かな音楽的バックグラウンドを感じさせる演奏で、かなりノッてしまった。

 最後は当然喜納昌吉が登場。彼の素晴らしいステージについては、MUSICのコーナーへどうぞ。

 後半に登場したミュージシャンたちが良かったから救われたようなもので、正直イベント自体は退屈なものだった。なんか全共闘世代の慰安会に迷い込んだような気分にさせられた。塩見孝也は最後に登場して、「今日皆さんが楽しんで下さったらそれがいちばん嬉しいことです」みたいなことを言ったのだが、本当にそうだろうか?肝心の「ネオ縄文人宣言」自体の内容の脆弱さを、音楽で埋め合わせた印象だっただけに、後味の悪さが残ってしまった。