Vol.1 1997



コミックマーケット52 (97年8月15〜17日 有明・東京国際展示場)
 自分がなぜこれほど大量のCD・書籍・雑誌を買い漁っているのか、僕は時々分からなくなる。部屋には、行き場を無くしたCDが、CD屋の袋に入ったまま積み重ねられ、同じく積まれた書籍や雑誌は、香港の高層建築のような様相を呈している。それでも、仕事の疲れがとれない身体を引きずって、ライヴやイベントに足を運びたがる自分がいる。

 自分自身に必死に付加価値を与えて、内面の空虚さを埋め合わせようとしているのかもしれない。あるいは、なんとかして日常から遠ざかる(逃避しきれないことは知っているのだ)道を求めているのかもしれない。そう考えると僕の日常は、現実と向き合えないことへの後ろめたさと背中合わせだ。

 コミケについて書こうとすると、ついこんな風に身も蓋もなく自分について語ってしまうのは、コミケというイベントの非日常性の強烈さに起因している。僕にとって、コミケは最大の逃避装置なのだ。




 95年の夏コミに初めて行って以来、ついに今年の夏コミでは、作り手として参加することになった。もっとも、売ったのはマニアの受難の内容をまとめたものだし、スペースも自分で取ったのではなく、友人たちのサークルに本を依託しただけ。しかし、とにかくも毎日コミケの会場で売り子をすることになったのだ。しかも3日間連続。心身ともに限界へ挑戦することになった。

 それでやっと分かったのだが、コミケは本を売ってこそ面白い。そりゃ一瞥もくれない人や、手にとっても買わない人も多いが、「これください」と200円(だったのだ、値段は)を出される瞬間の嬉しさといったらない。「僕はここにいていいんだ!」ってな感じだ。嬉しさ余って、呼び込みもガンガンやってしまった。苦労して作ったコピー本だったが、売るのにまわした40部も無事に完売。作った甲斐があったもんだ。

 「Mijk Van Dijkは、コミケに合わせて来日するらしいですよ」などという驚愕の情報を教えてくれる人や、「活字でエヴァについてまとめた本が読みたかった」と誉めてくれる人など、実際に人と話すことも楽しかった。中にはさんざん話した挙げ句買わなかった人もいたが、まぁそういう人も含めて、コミケの面白さはある。また、人から人を紹介してもらったり、インターネットを見てきてくれた人がいたりと、思いの外人脈も広がってしまった。

 確かにインターネットも情報の渦の中へ僕を沈めてくれるけれど、それはもはや日常生活の一部と化してしまった。コミケのような、3日間限定であるがゆえの昂揚感はもたらしてくれない。そして、こうした生身の交流はやはり得難いものだ。




 あなたが少しでもコミケに興味を持っていたら、一度は行った方がいい。一度で嫌になるかもしれないが、それもまた人生。話のネタぐらいにはなるので、来てみるに越したことはないだろう。3日間で40万人とも言われる入場者のコミケは、もはや閉鎖性や開放性といった言葉では云々できない、混沌とした空間だ。会場をぐるぐる歩き回っていると、頭は霞みがかって、ちょっとしたトリップ感すら味わえる。特にコスプレ広場の狂い具合は、日本人に生まれたなら一度は見ておきたい。青空の下に出現した非日常性の塊は、日頃おたく文化圏から遠い場所で暮らしている人ほど衝撃を受けるはずだ。僕なんて余りの衝撃で、コスプレの女の子と一緒に写真を撮ってしまった。もうおおはしゃぎで。

 ただし、良質なマンガや本を求めようとしても、決して「宝」は多くない。事実、僕が買ったのは1日5冊ぐらいのもの。個人的には創作系がオススメ。コミケの空間を楽しむことを第一にして、ついでに気に入った本が見つかったらめっけもの、と考えておくといいかもしれない。




 しかしまぁ、コミケ中はなかなか寝付けなくて、遠足を明日に控えた子供のようだった。睡眠薬飲んでやっと寝てる始末だったし。そのぶん、3日間の祝祭を終えて会場を後にゾロゾロと歩く人波を見ると、「祭のあと」の実感が胸に染み込んできてしまった。

 そう、コミケで本当に大変なのは、終わった後日常に回帰しなければいけないことなのだ。