「THE END OF EVANGELION」を観て





 「THE END OF EVANGELION」の公開の直前、「人生劇場」というページから、「ファンによる映画結末大予想」というアンケートに協力を求められました。その中の「エヴァに期待することは?」という質問への僕の回答は、以下のようなものでした。
「個人的にはアスカの生死が気になって仕方ありませんが(笑)、狂った映画であればあるほどOKです。どんなシロモノになっても、僕は庵野監督を責めません。好き勝手にやって、極度に肥大化したエヴァに落とし前をつけて欲しいものです。
#たとえ僕らにトラウマを植え付けてでも(笑)」
 そして、問題の映画は見事に期待通りでした。いや、期待通りどころか、満ち溢れる悪意までオマケにつけてくれましたがね(笑)。




 「Rebirth」にあたる部分が終了し、新作部分に突入した時、僕は鼓動が早まるのを感じていました。
 シンジとミサトの別れの場面、汎用エヴァに弐号機を食い散らかされ、それでも「殺してやる」と繰り返すアスカ、そして補完へと至る展開…。これでもかというほどの見せ場だらけ、もう最高でしょう。映像的なクオリティーや演出も文句無し。スクリーンから目を離せなかったですもん。
 そして、「補完」の世界の美しさに至っては、恥ずかしながら、僕は涙が出そうになりましたよ。罠にはめられてると自覚しながらも(笑)。

 ただ、例の劇場の客席やらコスプレやらの実写が出てきた時には、「あー、ここまでやるか」と思いましたね。エヴァを逸脱して、表現のベクトルがいきなり「説教」へ向かったんですから。本来のストーリーから一気に飛躍しすぎ、という印象は確かに拭えませんでした。
 もっとも、どうこの展開を収拾する気なんだ?という疑問と期待で、また映画に引き込まれていったのですが。

 そしてシンジが元の世界に戻りたいと決心する展開、泣かせましたね。
 ところがあのラストですよ。いきなり背後から庵野監督に蹴飛ばされて、外に突き出された気分でした。幕が閉じてきた時なんて、映画館の手違いかと思ったくらいです(笑)。

 なかば呆然とした気分で、映画館を後にしました。帰りの電車の中でも、なぜシンジは最後にアスカの首を絞めたのか?とか、あの「気持ち悪い」の意味は?と、白濁した頭で考えていました。まさにあのラストに飲み込まれたかのように。

 ちなみに、映画を見終わった直後に脳裏に浮かんだ一言はこれでした。
 「やはり…みやむー?」




 実は、僕は今回の映画の大筋を、公開の2週間ぐらい前から知っていました。セガのBBSにあったネタばれを見ていたんです。半信半疑でいたのですが、まぁ、アスカが生き残るなら一安心だと(笑)。

 そして、もし本当に面白い作品であるなら、事前に筋を知っていても楽しめるはずだと考えていました。結果、僕は見事にあの作品を楽しむことができたのです。




 性も暴力も悪意も、あらゆる表現衝動を包み隠さずブチまけた、針の振り切れた作品。いや、単刀直入に「狂っていた」と言うほうが適切かもしれません。
 そして、その矛盾や破調、崩壊を孕んでの完結に、バロック建築が目の前で崩れ落ちるかのようなカタルシスを僕が感じたのも事実です。

 確かにラストには、途中あそこまで感動させておいて最後がこれ?と、呆れもしました。みやむーとの関係の単なる投影でエヴァは終わってしまったのか?と。
 しかし、観客への壮絶な悪意を感じさせた例の「気持ち悪い」とその直後の終劇にしても、突然観客を現実へと放り出すためにあそこまで巧妙な構成をしたならば、もはや天晴ではないかと考えるに至りました。

 むしろ、僕はあのラストについては、観る者を煙に巻くための庵野監督の演出ではないかという気がしました。必死になってその意味を探ろうとするファンを、自分の掌の上で踊らせるための。庵野監督の言葉を借りれば、「サービス」ということでしょうか。
 同時に、庵野監督の内面世界の表出をも目的とした、ストーリーとはもはや別のシロモノだったという気もします。

 そして僕は、シンジがアスカの首を絞めたように、庵野監督がエヴァという作品を封殺したように感じたのです。「気持ち悪い」と。

 予定調和であると思いつつも、シンジとアスカが解り合うことを予感させるようなラストを僕が求めていたことも事実です。
 しかし、大団円に持ち込めるはずの物語に、敢えてあのラストを加えてまで自己の葛藤を剥き出しにした庵野監督に、ある種の潔さを感じたのです。

 強行着陸ではあるものの着陸はして、ストーリーにも一応の決着がつきました。
そして同時に、庵野監督という異才の強烈なパーソナリティーが反映された、あれだけ突き抜けた表現も成し遂げられたわけです。
 それは、エヴァという作品に僕が求めていたものの両方が、見事に叶えられたことを意味していました。

 そう考えるにつれ、「THE END OF EVANGELION」に対して僕は快哉を叫びたい気持ちになったのです。




 パンフで鶴巻和哉さんはこう語っています。
「あんまり後に引かないで、次の楽しいことを見つけて下さい。」
 キツイこと言ってくれますよね(笑)。しかし、それは的を射ているがゆえのキツさでしょう。言い換えれば、僕自身の心に潜在的にあったものを突いていたのだと思います。
 エヴァは、僕の怠惰な日常に昂揚感を持ち込んでくれました。楽しかったです、エヴァに出会ってからの日々は。

 今は、終わらないはずの夏休みが、突然終わってしまったような気分でもあるのですが。




 それにしても、良くも悪くも時代に打ち込まれた楔であるこの作品が、後世どんな評価を受けるか楽しみじゃありませんか?
 「コミュニケーションの葛藤を描き切って普遍性を獲得した作品」と語られるもよし、「監督が作品を自慰の道具にした世紀のキチガイ作品」と語られるもよし。

 ただ、庵野監督を過大にも過小にも評価する気はないけれど、今の僕はやっぱりこう言いたいのです。


「庵野監督、あんたやっぱり最低で、そして最高だよ。」




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