since 14/DEC/96
 
小心者の杖日記
 
ロゴデザイン BY ゴー
 
1031日 (sat)

 今日はずっと「PARKING!」の原稿書いてました。テープ起こしとかして。

 そんな秋の日のBGMは、マリス・ミゼルの「merveilles」とキュリオの「Sweet & Better」です。…やめてください、露骨に軽蔑した目で見るのは。とある友人に強く勧められたんで、食わず嫌いは良くないかと借りて聴いてみたんです。いるんですよ、僕に勧める人が。マリスは、思いのほかゲテモノじゃなかったんですが、音楽的にはキツイですね。なんとしても自分たちの世界を表現しようという向こう見ずな心意気は買います。キュリオは、佐久間正英・吉田仁・白井良明をプロデューサーに迎えていて、手堅い作りです。「欲望のはじまり」のようなオリジナリティーのある曲がもう少しあればいいんですが。

 自分の趣味のブツも買ってきました。広末涼子の「WINTER GIFT '98」です。あっ、また軽蔑した目が僕を…。ともあれ、5曲入りCDとビデオのセットなんですが、CDに入ってる新曲は「青い月に浮かぶ月のように」のみ。他は、既発曲の毒にも薬にもならんリミックスとかでお茶を濁されてます。「青い月に浮かぶ月のように」は、平岩英子のペンによる非常にいい曲なんですが。

 これまでのシングル6曲のクリップを収めたビデオの方では、「風のプリズム」のタメを効かせた映像が出色の完成度です。監督は永石勝。先頃、映画「サムライ・フィクション」を公開した中野裕之による「ジーンズ」は、女性誌のグラビアのような世界の広末を切り取ることに成功しています。ちなみに、永石勝監督によるもう1本のクリップ「summer sunset」に出てくる彼氏役は、あのMITSUU。こいつのせいで、全国の広末ファンの心もサンセットって感じです。

 そしてGREAT 3の新作「WITHOUT ONION」。フルートとウッド・ベースで始まる「Sabbaath」を聴いた時には、思わず「結晶」の頃の オリジナルラヴを連想しました。意図的な古い音の使い方が新鮮な「Golf」には不思議なときめきさえ感じて、切なくなっちまいます。サントラを模した「WHITHOUT ONION」が異常に本格的に聞こえるのは、何か騙されてるのかも? 立花ハジメを迎えた「Whopper Goo!」は、まさにプラスティックス。ひたむきに走り続けていくような「Tree Top Shine」のドラム・アレンジもカッコいい。モコッとした音質や、音像の定位の工夫も効果的です。ボサノヴァやジャズファンクなどの様々な音像を纏っても、芯の硬さを感じさせるサウンドにはエネルギーがうねっていて、まさにロック。こんなアルバム、久し振りに聴いたかもしれません。

 
1030日 (fri)

 僕は音さえあればあまりパッケージにはこだわらない方なんで、持ってるCDをもう一度買い直すような真似はしないんだけど、はっぴいえんどの場合は例外扱いになってしまった。この間東芝から発売された「URCレーベル30周年記念限定再発シリーズ」は、オリジナルLPのジャケットはもちろん、帯や歌詞カードまで復刻したシリーズ。その中のはっぴえんどの3枚「はっぴいえんど」「風街ろまん」「はっぴいえんどLIVE ON STAGE」をまとめ買いしてしまったというわけだ。「風街ろまん」は見開きジャケット仕様で、雪の街の絵や詩を初めて見ることができた。しかも、どれもCDの盤面がアナログ盤のような印刷で、しかもLP盤同様のビニール袋に入っていたのには感激。ここまでやってくれたら、買い直した甲斐があったってもんだ。

 マンガで買ってきたのは、山本夜羽「J.P.S」と「ヤングキングアワーズ」12月号。山本夜羽は、人生いろいろ、エロもいろいろって感じ。自傷行為マニアの新興宗教教祖の話が面白かった。これまで「アワーズ」に載った犬上すくね作品の中では、今月号の「WORKING ZOMBIE」が一番好き。やまむらはじめの「肩幅の未来」は、異様に話が分かりづらい怪作なのに、妙な魅力がある。横割りコマの多用や、最後まで明かされない誕生日や薬の謎など、引っ掛かる部分が多いのだ。喧嘩していたのにテレビに好きなタレントが出た途端にお騒ぎ、という恋人たちの描写もいいな。タイトルは中島みゆきの引用だよね?

 今日の「彼氏彼女の事情」、前半はあんまりにも動かなかったので、マジかよ〜という気分で観ていた。これは演出なのかとも思ったけれど、やっっぱ製作上の時間の問題だよなぁ。こうなったら庵野監督には大技でもかまして欲しいね、総集編だなんてケチなこと言わずに、ドーンと実写でも。当然、山本麻里安を大々的にフューチャーだ! あの「むにゅっ」感をもっと!! …などと意識を遠い世界に飛ばして考えていたら、後半は普通に動いてた。あらら。

 
1029日 (thu)

 「PARKING!」4号の原稿のため、さくら君と新宿で密談。でもせっかくなんで、立会人として加賀美さんにも来ていただいて、我々を暖かい目で見守ってもらうことにした。全然密談じゃないじゃん。

 さて、さくら君と何をしたのか? と、もったいつけてみたけれど要は対談だ。内容は…まぁ完成してからのお楽しみなんだけど、ある種のマンガについてのもの。この間の加賀美さんオフで飲んだ際に、恋愛談義とマンガ談義がゴッチャになり異様に盛り上がった。さくら君がかなりのマンガ読みである事実が判明したこともあり、「この熱さは何か重要な意味合いを持つのではないか?」と泥酔した頭で考えるに至り、途中まで書いていた原稿を捨てて、今回の対談を企画したというわけ。で、いざ醒めた頭で資料集めを始めたら、テーマがデカすぎて途方に暮れることになったんだけど。

 ルノアールで延々1時間半近くマンガについて話して、終わってからつぼ八へ。マンガから各自の話へと、さらにヒートアップする。3人してダウナー傾向を垣間見せながらも、若者であるさくらくんに触発されて、とにかく熱く語ってしまった。まだまだこんな風に語れるもんなんだなぁ、なんて自分で思うぐらい。あと、加賀美さんがプロでさくら君はアマっていう違いはあっても、やっぱ自分の思いのたけを創作で表現できるってのは、つくづく羨ましいな。ともあれ、付き合ってくれたご両人に感謝。

 
1028日 (wed)

 武道館2DAYSを含む初コンサートが発表されて湧いた日本広末界でしたが、喜びも束の間、新たな衝撃に襲われる事態となりました。(すいませんねぇ、また広末涼子ネタです。)今日発売された「宝島」11月11日号に、なんと湯上がり姿の写真が掲載されたのです。つまりは濡れ髪にバスタオル1枚。こんな写真を本人に無断で掲載するとは不届き至極であり、このような雑誌が青少年に目に触れることを少しでも阻止すべく、微力ながら僕が1冊差し押さえて…あんまりベタなこと書いてるんで自分で嫌気が差してきました。

 実はこの写真の存在については、その噂を聞いたことがありました。先日「銀河の約束」を観に行った際、高橋隊長からうかがったのです。なんでも、少し前に広末が出た集英社のイベントの会場の外で、これと思われる写真についてのビラを配っている連中がいたとか。そして今回の「宝島」です。なにやら、先日インターポールに摘発された国際チャイルドポルノ組織のごとく、広末を狙う地下組織でもありそうな気さえして不気味です。

 それにしてもこの写真、見るのは道義的に問題があると思いながらも、ついつい見てしまいました。なんか後ろめたい気分。その葛藤たるや、社会問題化した酒鬼薔薇の顔写真どころの問題ではありません。地下組織に酒鬼薔薇と、広末を語る際にやたらスケールを広げてしまう僕の癖にも困ったもんですが。

 
1027日 (tue)

 部屋が狭くなって仕方ないと言っておきながら、今日も買い物。結局のところ、物を買うのが大好きなのだ。鈴木博文「ああ詞心、その綴り方」、小野島大監修「NU SENSATIONS 日本のオルタナティヴ・ロック 1978-1998」、岩館真理子「キララのキ」第3巻、望月花梨「笑えない理由」第1巻、「CUTiE COMiC」12月号、「ピュアガール」#09を購入。これだけ買えば片手に食い込む重さになって、消費活動がもたらす満足感もひとしおだ。病んでます。

 「ああ詞心、その綴り方」は、博文さんの今年2冊目の単行本で、ヒット曲からロック系までの様々な歌詞を分析したもの。ちょっと読んだ感じでは、詩的な感覚と理論的な分析が同居していて、詩人による詩人の解説本って印象だ。小野島大の音楽評論にはいろいろ思うところもあるんだけど、「NU SENSATIONS」は買わないわけには行いかない。なんたって、JAGATARAに関する記事があるんだから。他にもクセの強いアーティストが躊躇なく取り上げられていて、思った以上に面白そう。「CUTiE COMiC」では、南Q太の新連載がスタートしていた。この「夢の温度」、これまで以上にクールな肌触りだし、彼女の作風を広げてくれそうなので期待。

 そして「ピュアガール」なんだけど、加野瀬さんウガニクさんに続いて、トモミチさんユウタくんがライターとして登場だ。相変わらず変態のトモミチさんに、相変わらず「僕」の使用頻度が多いユウタ君。ライター仕事でも、ネット上でのいつもの芸風と同じなのが素晴らしい。これで「雪色のカルテ」の攻略記事が載ってれば個人的には大満足だったんだけど、まだあのゲームを攻略できてないのは日本中で僕だけなのかも。秋風の中、気がつけばひとり。

 最近いつも忘れてるo u t d e xの更新情報、「E:mc2 online」shiroを相互リンクに追加しました。そのうち「o u t d e x」の存在自体を忘れそうで不安です。

 
1026日 (mon)

 さぁ久々の小ネタDAY、まずは景気の悪い話2連発ですよ。

 アルファレコードが倒産するらしいです。現在はアルファミュージックに改称してるらしいんですが、倒産となってはもう知った話じゃないですね。このアルファ、90年代に入ってからは「編集盤商法」とでもいうべき道を走っていて、数多くのベスト盤、リミックス盤、限定盤、紙ジャケット盤などを乱発、過去の音源を使い回しまくって一部ファンを泣かせ続けてきました。特にYMOのファンは泣かされ続けてきましたね。僕はオリジナルのアナログ盤を全部揃えていたので、それ以外には手を出さないように我慢したんですが、ディープなファンの方々は、「絞り取られる」という形容がぴったりなほど散財させられていたようです。そういえば、今年YMOの2枚組CD-ROMが出ましたが、MP3ファイルでYMOの全曲を収録していると豪気なシロモノでした。思えばあれが最後の打ち上げ花火のようなものだったのでしょうか。ちなみに、これまでのアルファ関係の音源は東芝にから出るとか出ないとか。

 お次の不景気なネタは、「MUSIC LIFE」の廃刊です。この間リニューアルしたばかりで、その辺から僕も買うようになったのですが、まさかこんなに早く命が尽きるとは。やはりキッス特集が自滅を導いたのでしょうか。レコードレヴューでワールドミュージック系も扱う数少ない雑誌のひとつでしたし、残念な話です。シンコーミュージックは他の雑誌も廃刊して、3誌同時廃刊だとか。そう聞くと景気がいい話のような気もしますが、単なる気のせいですね。

 さて気を取り直しましょう。世界一遅い「彼氏彼女の事情」の感想コーナーですよ! 第4回は、リズムが悪くなってたし、あまり絵が動きませんでしたね。今から制作状況の心配なんてしたくないのですが、やはり庵野監督必殺の「1話の半分が総集編」がそろそろ出てきてしまうんでしょうか。はっ、話が景気の悪い方へ向かってしまいました。

 しかし、今回「彼氏彼女の事情」について語りたいのはそんな問題ではありません。僕が気になっているのは、予告編に登場する向かって左側の声優です。彼女の名は山本麻里安。まだ高校生なんですが声優としてのキャリアはそれなりにあるみたいで、「彼氏彼女の事情」では花野役を担当しています。注目したいのは、彼女の「むにゅっ」とした感じ。この「むにゅっ」感は、僕の愛する広末涼子や工藤浩乃に通じる気がしてなりません。大きな声じゃ言えないんですが…萌え

 
1025日 (sun)

 マンガ家の加賀美ふみをさんを囲む会ということで、加賀美さんのHPの掲示板常連を中心にして集まってきました。午後1時に待ち合わせて向かったのは、杉並区高井戸地域区民センター。座敷の和んだ雰囲気で語らってもらおうという、会場係の植田さんの粋なはからいです。この日集まったのは男女13人。加賀美さんの主戦場が「まんがSHOW-GAKKO」というエロマンガ誌ということもあり、皆さん、なかなかに味のある方々でした。

 加賀美さんの盟友でもある幹事のJIMMYさんが、加賀美さんの単行本未収録作品・同人誌などの秘蔵コレクションを大量に持ち込み、そこにCDやらなんやらも撒かれたので、話のネタに困ることもなく、菓子など食いながら非常に和気あいあいとした雰囲気で夕方まで過ごしました。2次会は渋谷に出て飲み、それでも語り足らない人々は喫茶店で3次会。結局、解散したのは11時前でした。

 前述したように加賀美さんの作品はエロマンガなんですが、一定のエロ描写を入れながらも、非常に心理描写に重点が置かれているのが特徴です。出てくる男どもは、どいつもこいつも中途半端に純情で、圧倒的にモラトリアム。全てが満たされることはないことを自覚しながら、それでも人との距離を精一杯縮めようとする人間の姿を、セックスを通して描いています。取ってつけたような結論を提示して逃げることよりも、もどかしさや倦怠感、欠落感を正面から描こうとする、不器用にして真摯なアプローチです。

 そんな加賀美ふみを作品に魅力を感じて集まった人々だけに、みんな好人物ばっかでした。本当に。話は尽きないという感じで、ずっと話しっぱなし。マンガを通して見知らぬ人と出会う、非常に楽しい時間でした。

 帰りの電車は加賀美さんと同じ方面になったのですが、気付けば開始から10時間も経っていました。加賀美さん、ホスト役で大変だったと思いますが、お疲れさま。「知り合いのマンガはo u t d e xで取り上げない」という僕の基本原則をブッ壊してくれるような作品を期待してますね。

 
1024日 (sat)

 至福の時間は150分に及びました。生まれて初めてアイドルにハマってから2年半、遂に広末涼子を生で見る日が来たのです。場所は池袋の東京芸術劇場、ミュージカル「銀河の約束」昼の部公演。共演は、中村雅俊・森公美子・谷啓・河相我聞など豪華キャストでした。チケットを回して下さった高橋隊長、御恩は一生忘れません。

 舞台には本物の広末がいる。それだけで、もう細かい理屈を練る余裕はありません。彼女の登場シーンではその事実を確かめるように、会場で売られていたオペラグラス(広末マーク入り・1000円)を常に装着して一挙一動一表情を激視、広末を焼き殺さんばかりの熱視線で鑑賞です。

 宇宙人一家が、大スター歌手中村雅俊(役名は忘れた、以下同)の家の近所に着陸。その宇宙人一家の一人娘・広末は、中村に恋をしたり、友達になった河相我聞が病死する姿を目にして苦しんだりしながら、飛躍した論理で月に突撃することを決意します(太陽に突撃した鉄腕アトムのようですな)。そこで中村が「俺に世界を救う歌を歌わせてくれ!」と叫んでフィナーレを迎えるという、歌と踊りと笑いと感動、そして強引さまで揃った一大スペクタクル・ロマンなのです。この説明に納得が行かない向きもあるでしょうが、とにかく実際に観てもこうなので、納得していただくようご協力お願いします。

 この作品のミュージカルとしての評価はどうなのか? そんな問いは愚問です。ミュージカルのわりにはあまり踊らないという事実も、大した問題ではありません。金さえ出せば生の広末が見られる、しかも日時の融通まできくという時点で、このミュージカルはその存在を120%肯定されるべきものです。ちなみに、谷啓の生ガチョーンも観れるので、広末なぞ知らない年輩の人にも自慢できますね。

 宇宙人ルックで宇宙人イントネーションで話す広末、阪神のユニフォームでタンバリンを叩きながら歌い踊る広末、学生運動の格好で「安保ふんさ〜い」と叫びながら飛ぶ広末、忍者姿でメチャクチャな忍者言葉を話す広末、そして白いワンピースで走る広末…。「なんだよ、ゲテモノかよ?」。そんなことを言いたくなるあなたも、実際に生広末を観たならば、全てを銀河の真理として肯定したくなること必至です。しかも悩み苦しみ、切なげな表情を見せる場面が多いので、もう我慢がなりません。いつのまにか歌も上手くなっているので、ラストの方で広末がアカペラで歌い出した時などは、展開の無茶さ加減も忘れて感動してしまいました。

 生広末の前で、全ての理性を投げ捨てる。それが正しい鑑賞法です。そう、彼女のプライベートもひとつの現実ですが、アイドル・広末涼子という虚構の存在もまたひとつの真理であり、両者は等価値なのです。僕らの全ての幻想に花束を!!

 閉演後、会場では広末ファンクラブが入会受付をしていました。「今なら、来年初旬のコンサートの優先予約に間に合いま〜す」。この一言の誘惑に負け、申し込む姿を衆人環視に晒されることも省みず、入会手続きを済ませてしまったのです。それは、これまでファンクラブには入らないことで一線を保っていた自分への決別でした。

 そんなわけで僕は旅立ちます。皆さん、さよならー!

 
1023日 (fri)

 森高千里のコンサートに、塚田さん&梯子さんと行く。お誘いにホイホイと乗り、残業から逃げるために直帰の仕事をブチ込むほどの意気込みようだ。会場の神奈川県立県民ホールは意外と大きくて、僕のライヴ歴では、再生YMOを観た東京ドームに次ぐスケール。入場前の行列には、何系と分類しがたいほどいろんな人がいた。大スターのコンサートですなぁ。

 開演前には「今日も頑張ってまいりましょう!」と前で叫ぶ奴が現われて、客席がいい具合になごみ、「流儀」ってもんをみせつけられた気分になる。いざステージが始まれば、演奏中はずっと総立ちで、席は単なる荷物置き場。なんかアメーバみたいな形状の物体がステージ上に3機ぶらさがっていて、それが上がったり下がったり、光り発したりしたりして、大掛かりな舞台装置が「コンサート」って感じなのだ。森高のアルバムは数枚しか聴いてない僕のような人間でも楽しめるのは、当然ヒット曲やキャッチーな曲が多いから。客も、曲によっては両手を揺らして踊る踊る。あの場では、森高は現役のアイドルなのだ。思いのほか長かったMCでは、横浜の話題なんかもしつつ、飛んでくるファンの声にもちゃんと答える。客あしらいが上手いんだよね。歌のほかにも、ドラム叩いたり、ギターやキーボード弾いたり、リコーダー吹いたりと、ホントに芸達者な人だ。

 濃い目のエグさみたいなものは思ったほどなかったけど、これほどメジャー感が溢れ出るコンサートは初めてだったんで、その点では非常に新鮮だった。本編ラストで「私がオバさんになっても」を聴いたときには、歌詞の持つ独特のユルさがまさに森高の個性と合致していることに気づき、いい曲だなーと感動してしまったし。「17歳」は、カーネーション・ヴァージョンで演奏されてニヤリ。「雨」も聴けたのは嬉しかったけど、細野晴臣プロデュースの「今年の夏はモア・ベター」からは1曲も演奏されないで終わってしまったのは残念だった。やっぱあのアルバムは、森高的には本流じゃないってことなんでしょうなぁ。そう、森高のコンサートはメジャー感が鉄則。そのことを思い知らされつつ楽しんだ。

 
1022日 (thu)

 忙しくても物だけは買ってしまう、それが僕の悲しい性。FATBOY SLIM「YOU'VE COME A LONG WAY,BABY」、オムニバス「ELECTRIC KINGDOM」、DJ SPOOKY「RIDDIM WARFARE」、Bloque「Bloque」のCD4枚を購入。はじめの3枚は、ダンスだエレクトロだDJだって感じで、Bloqueはコロンビアのロック。

 マンガも、「COMIC CUE Volume.5」と遠藤浩輝「EDEN」第2巻を購入。読む時間ないよなーと思いつつ、「COMIC CUE Volume.5」はむさぼるように読んじゃいました。今回の子供特集では、すぎむらしんいちが思いのほか面白かったし、古屋兎丸の生み出す世界は、画力・世界観ともに圧倒的です。一番インパクトが強かったのは黒田硫黄で、1962年のちょっとねじれた子供の話かと思ったら、いつのまにか暴走してスケールがむやみにUP。こんなラスト、全く予想がつきませんでした。なんかレコードを聴いていたら突然針飛びして、別の曲が流れ出してしまったかのような展開です。グレイト。

 そして今回、個人的に最大の収穫は…江口寿史でした。たった8ページ、されど8ページ。老いて死んでいくのと、若返って無に帰るのと、どちらが幸せ? 江口寿史は今でもギャグマンガを描きたいのかもしれないけど、それで自分を追い込んだりしなくても、非ギャグマンガでこんなに素晴らしい作品を作れるんだからもういいじゃないか。僕の中では、第一線の作家に江口寿史は躍り出ました。不条理なのに切なくて、キンモクセイの香りが僕の鼻にも甦ってしまう、そんな作品です。

 
1021日 (wed)

 小野塚カホリの「NICO SAYS」をやっと読む。これ、買いでしょう。「CUTiE COMiC」の連載も悪くなかったけど、この95年作品はもっと読ませてくれた。3話構成の表題作&短編3本入り。

 「NICO SAYS」の主人公・ニコは13歳の頃義父に犯され、その事実から逃げるように、好きだった実兄とも関係を持つ。そして数年後、兄には恋人がいて、ニコにも好きだという男が現われ、それぞれに恋人を持つことになる。けれど、ニコが興味を持つのは結局兄のことばかりで、兄との関係も続いたまま。義父とのことも兄に話せず苦悩は深まり、自分と距離を取ろうとする兄の態度は、兄の恋人への憎しみを強めることになる。そこから彼らの関係が壊れていくまで、さして時間はかからない。「あたしのこと好き?」と繰り返しながらニコが迎えるラストは、依存の裏返しとしての愛情や、他人に愛されることでしか維持できない自我の解決になっているのか、判然としないところがもどかしい。でも泣けるんだよ、これが。

 僕の説明が悪いのかもしれないけれど、ストーリーだけ抜き出すと結構凡庸な気もする。それでも小野塚カホリが鮮烈な印象を読み手に与えるのは、肌にナイフをザクッと刺すような残酷さでレイプなんかを描きながら、同時に透き通った愛情をも描き出している点だ。これは他の短編にも共通する。彼女はあとがきで「ヒジョーに少女まんがです」と自作を語っているけれど、これほど乾いたリアリティーを感じさせるのは、セックスに何の幻想も持ち込んでないからかもしれない。細くて神経質そうな線や、モノローグと吹き出しとコマのゴチャッとした配置なんかが生み出す効果も大きい。

どうして思春期なんてあって/恋なんか知って/性なんか知っていくんだろう
 いいね、「NICO SAYS」のこのセリフ。


 
1020日 (tue)

 季節は年賀状。もう秋も冬もすっ飛ばして、年賀状の季節になったようです。書店には年賀状画像のCD-ROMが並び、すれちがった中学生のガキですら年賀状がどーのと話していました。最近はマジで残業に追われてる勤労青年の僕ですが、今年も会社の人にドバドバ出さなきゃいけないわけです。めんどくせー。

 そして思い出したのは、今年1月に役目を終えて以来10ヶ月、押し入れにしまわれることもなく僕の部屋に放置されているプリントゴッコです。邪魔だけど片付けるのも面倒で、荒廃した僕の部屋を象徴するかのように鎮座していたブツでしたが、あと2ヶ月もすればメインの活動期が来るじゃないですか。こんな気分ともおさらばです。イエーイ。来年こそは片付けよう。去年もそう思ったけど。

 しかし、そんな月日の流れの中でも忘れてはならないことがあります。10月から発売が延期されていた、カーネーションの「エレキング」リイッシュー盤が、11月21日に発売されることになったのです。そう、ちょうど1ヶ月後ですね。

 今回のリイッシュー盤は、同時発売の「エレキング」「天国と地獄」ともにデモテイク満載のうえ、さらにオリジナル盤のデザインを担当した八木康夫さんがそれぞれのジャケット&帯を新たにデザインし、そこにライナーと従来のジャケットも付くという豪華極まりないシロモノです。まさに愛情ブチかましのリイッシュー作業という感じで、「エレキング」のライナー執筆という形で参加させていただいた僕は幸せ者です、ホント。o u t d e xにも情報をUPしておきましたんで、あわせてご覧ください。

 
1019日 (mon)

 夜の10時前には、外苑前のファーストキッチンにいた。溜まる一方の仕事に残業で応戦したものの、それでも終わる気配がないので敵前逃亡し、11月29日のかしぶち哲郎ライヴのチケットを買うため南青山MANDALAへ来たらこの時間だ。ライヴハウスは遅くまでやってて便利だ、なんてライブハウスの営業形態から考えれば便利の理由付けにならないことも思ったが、チケットは店頭販売しかしないってんだから本当は不便なのだ。そんなわけで腹も空き、手っ取り早くファーストキッチンに入る。僕の並んだカウンターの前の男は領収書を貰っていて、どうやらまだ残業中らしい。僕は700円ちょいでセットを買い、入口のすぐ脇の席に陣取る。目の前の通りでは車が夜道を急ぎ、開けっぱなしの扉から涼しい風とともに排気ガスを送り込むので、食事の環境としてはこの上なく悪い。指の油がページに付かないよう神経質に気を使いながら、文庫本を片手でめくりながら読む。バーガーをあっさり食い終わってしまったら、あとはポテトの熱さだけが頼りだ。

 保坂和志の「この人の閾」に収められた短編は、どれも大きな事件は起こらない。何も起こらないと言ってもいいくらいだ。ほとんどの展開は、草をむしりながらだったり、歩きながらだったりしながらの登場人物の会話によってもたらされる。飽きずに読み続けられるのは、長い一文をそれと感じさせずに読ませる工夫が凝らされているせいでもある。語られるのは、大学を卒業して主婦になった友人の生活、バブル時代に失われた東京の街並み、子供の頃の近所の記憶。感傷と言えば感傷なのだが、過去に重みを置くのではなく、現在を軽んじることもない点で、とても淡い印象を残す。感傷で物語を塗り固めるのではなく、会話から滲み出すものをさらりと描く作風だ。全く飽きなかったと言えば嘘になるが、理屈談義を避けながら想いを表現しようとするストイックな姿勢には魅力を感じた。「東京画」という題名は、やはりヴェンダースのあの映画からとったのだろう。

 再び地下鉄の駅に降りると、そこは空調が効いていないかのような蒸し暑さだった。到着時にはすぐ駅を出たので気が付かなかったが、こうして電車を待っていると、ワイシャツの背中に汗が染みてきそうだ。そんな不快さゆえに、文庫本最後の「夢のあと」をホームでは読まないまま。

 
1018日 (sun)

 今日の多摩川の河原には、泣けてくるほどの青空が。

 夕方テレビを点けると「みんなのうた」が放送中で、東アジア的叙情に溢れたメロディーが流れてきました。80年代ハードロックのようなエレキに苦笑しながらもいい曲だと思っていたら、歌っていたのは大江千里でビックリ。この「秋唄」という曲、詩もいいし、タイのロックみたいで個人的にツボです。80年代をニューミュージック少年として過ごし、中学時代に「未成年」や「乳房」を愛聴した僕には、意外な場所での再会でした。そういえば、近所の中古盤屋では、彼の「redmonkey yellowfish」が100円で投げ売り中。実は僕も昔持ってました。清水信之の作る安っぽいサウンドには最後まで馴染めなかったけど、大江千里自身はいいメロディーメーカーだと思います。玉置浩二のように、いつか正当に評価される日が来ると思ってるんですが、やはり気のせいでしょうか。歌唱力がネックかなぁ。

 「広末涼子とくらもちふさこが一緒に載ってて喜ぶのはムネカタ君しかいないでしょう」という有馬さんからの通報で、至急現場(セブンイレブン雑誌売り場)へ。「オリーブ」11月3日号には、読みたくて仕方なかったくらもちふさこのインタビューが載っていたのです。ちなみに広末は表紙&インタビュー。

 くらもちふさこの顔って初めて見たんですが、思いのほか年齢を感じさせない感じです。気が若い人なんでしょう。自分の性格は飽きっぽいと話してるんですが、確かにそうでもなければ、あれだけラディカルなマンガ表現をベテランがやろうとは思わないのかもしれません。作品や絵柄へのコンプレックス、「天然コケッコー」を描き始めた理由なんかも話してるんで、ファンの人は要チェック。あと、ファッションの参考図書は「オリーブ」なんだそうで、そよや広海のファッションが作者の年齢を感じさせない(失礼)のも納得しました。

 「オリーブ」なんて雑誌は初めて買ったんですが、近田春男の恋愛相談とか、しまおまほによるしりあがり寿&西家ヒバリの取材とかがあったりして、結構面白いです。おおっ、ピエール&ジルの記事までありました。しまおまほは、最近買う雑誌での登場率が異様に高いです。あと、近田春男って、恋愛相談でも分析屋なんだってのがよーく分かります。

 というわけで、今日の日記のネタは大江千里と「オリーブ」。なんなんでしょうか、我ながら。もう気分は少女です。

 o u t d e x更新、CDレヴュー12枚分を「MUSIC」に追加しました。6月分です。秋の気配深まる昨今、初夏の思い出に浸るには最適ですね!(開き直り)

 
1017日 (sat)

 大ネタ発生から一夜明け、今日は小ネタDAYモードでお送りします。

 小野塚カホリ「NICO SAYS」、くらもちふさこ「わずか5センチのロック」、丸山健二「いつか海の底に」購入。今までどこか手の届かないイメージの作家だった丸山健二は、新刊ということで思い切って買ってみました。くらもちふさこの文庫版も買い漁ってるんですが、実は1冊も読んでいません。その渋谷三省堂には「渋谷系作家」というコーナーがあったんですが、メンツは阿部和重・鈴木清剛・町田康。一番最後は無理が…というのは不粋ですから言いわない方がいいですね。

 電車の車内広告を見ていたら、不意にチャッピー軍団が視界に。groovisionsが広告を手掛けていたのは、なんと予備校の早稲田塾でした。最近の彼らはDigiCubeの広告にもチャッピーを登場させてるんですが、それをよりにもよって「SAPIO」で見た時にはさすがに驚きました。チャッピー meets 「SAPIO」。資本主義って感じですね。

 「面白かったねー、昨日のエヴァ!」なんて、「彼氏彼女の事情」の第3回を観て言っている人はいませんか。確かに後半の心情吐露はあの作品を思い出させましたね。個人的にカレカノには、エヴァほどスケールがでかくない分、心理描写をアニメで極めて欲しいと期待しています。エヴァ完結後の庵野監督のインタビューでも、心理描写は失敗したという趣旨の発言をしていましたし。第3回は、ちょっとモノローグが多すぎたり、音楽が鳴り過ぎかなって気もしました。原作の面白さの活かし方や、リズムの作り方は非常に上手いと思うのですが、そうした方面の表現も今後に期待したいところです。

 森高千里の「Sava Sava」は、ジャケットやスリーヴ、CD盤面に至るまで、斜め前からの森高のアップの写真だらけです。サウンドの感触自体は非常に自然で、もちろん電気楽器も使われてるんですが、アコースティックな印象すら受けました。無地の服を着た森高ってイメージです。これまでの僕は、彼女をキャラクター先行のイメージで捉えていましたが、作詞家としての力量も感じさせて、このリラックスした雰囲気のアルバムはかなり気に入っています。スガシカオと久保田利伸も1曲ずつ提供していて、久保田の「海まで5分」は、サンバのリズムが爽やかでいいです。

 遅すぎて役に立たないo u t d e x更新情報、「絶対値 -ABSOLUTE VALUE-」を相互リンクに追加しました。

 
1016日 (fri)

 ビッグニュースです! なんと香山リカさんが、So-net提供のWEBマガジン「ぷらいあ」での連載「香山リカのWEB診察室」で、マニアの受難を取り上げて下さいました。僕とは因縁の深い(というか僕が因縁をつけた)香山さんだけに、So-netの石中さんからお話を頂いた時には、ついにテロ攻撃を受けるのかと覚悟しまてしまいました。しかも今まで登場したのが、第1回が天外城、第2回がWATCH SEIKOという大物ページばかり。そこへ第3回にして「マニアの受難」が並ぶのですから、3段落ちのネタにされるのかと思ったわけです。

 しかしタイトルは「診察室」です。診察室…そこはふたりだけの世界。午後の淡い光が差し込む診察室には、今、僕と香山先生しかいません。そして、僕に背を向けて机の上のカルテに目を落とす香山先生。その沈黙に僕は(中略)そんな妄想に思わず頬を赤らめ、迷わず石中さんにリンク&画像使用OKのメールを送ってしまいました。そしてめでたく診察室送りになったというわけです。

 さて、半年近くも更新してない「マニアの受難」がどう評されたのか? まずはご覧になってきて下さい。もう1回リンクしときますか。「裏読み」「深読み」は無用ですよ。この日記やo u t d e xまで含めて語って下さってるんですが、非常に有り難い内容となっています。そこから2ヶ所ほど引用させていただきましょう。

「ヒョウタンから駒」というか、ムネカタくんの方とはメールをやり取りしているうちになんとなく親しみさえ感じるようになったのだ。
 メールの交換は愛の交歓。香山さん、こんな事実を公表してしまっては、僕たちの関係が全世界に知れ渡ってしまいます。しかも「実は一度会っている」と言ってしまったら、事態は決定的です。僕は…構わないのですが(赤面)。

「せっかくの日曜なのに夕方まで 寝てしまった」と落ち込んでいたりすると、「まー、たまの休みはゆっくりしろよ」 なんて肩のひとつも叩きたくなったりしてしまう。
 ずいぶんと偉そうなこと言ってくれますね。ってのは冗談です。10月3日の日記は単なるネタなのですが、ご心配ありがとうございます。ついこんな悪態を突いてしまうのも、落ち込んでいるのも、本当は最近香山さんにお会いできない淋しさゆえなのです。お許しくださいね。

 ついつい馬鹿なことを書き連ねてしまいました。

 ところで僕は、香山さんとはあまりハッピーでない出会い方をしました。それについてくどくど述べる気はないのですが、とにかく96年10月23日の新宿ロフトプラスワンでの出来事がきっかけになって、香山さんを毛嫌いするようになってしまったのです。そのとき以来、「香山リカを信じるなんて!」とメディアに対して憤慨していたのですが、今年4月にある方に説教されて冷静になってから、「裏を返せば、香山さんの文章は、それだけ僕に様々なことを考えさせてくれるということなのか…」と今度はやけに感じ入ることになりました。そして「ヒョウタンから駒」というか、香山さんとメールをやり取りをしたり、実際にお会いしたりしているうちに、なんとなく親しみさえ感じるようになったわけです。媚びを売る気など毛頭ありませんが(それはかえって失礼なことです)、それからは「まー、仕事し過ぎじゃないっすか」 なんて肩のひとつも叩きたくなりながら、感情的なもの抜きで香山さんの文章を読ませてもらうようになりました。

 そんな経緯の果てに、こうして香山さんに僕のページを評論していただいたのは、非常に数奇な話のような気がしています。感慨深くもあり、一介の読者として光栄なことでもあります。さんざん生意気なことばかり言って迷惑をおかけしたことを改めてお詫びしつつ、香山リカさんに深く感謝します。

 
1015日 (thu)

 レコード屋まわったけど、TALVIN SINGHもFATBOY SLIMも先行発売の日本盤しかないんで、買うのは見送り。ボーナストラックと対訳が付いている日本盤よりも海外盤を選んでしまうのは、学生時代からの貧乏癖だ。ボーナスって、アルバム全体の統一感を削ぐことも多いので、あまり興味がない。あと、最近の日本盤もそうなのかは知らないんだけど、洋楽のCDの背の部分がカタカナってのは見た目がイマイチなんで嫌いだ。そんなわけで、一部の再発盤を除くと、僕が買う洋楽はほとんどが輸入盤なのだ。

 そんなわけで、今日唯一買ったのは邦楽。中村一義のシングル「笑顔」は、曲のタイトルからも想像がつくだろうけど、これが胸に来る曲で困る。ゆったりとした曲調ということもあって、これまでと比べて格段に歌詞が聴き取り易いのが新鮮。コーラスの重ね方も上手くて、ストリングスと共に色を添えている。カップリングの「晴れたり、曇ったり」もほどよく力が抜けていて、2曲とも、派手さはない代わりにしなやかだ。この2曲の共通のキーワードは、涙と笑顔、雨と晴れ、そして橋。こういう世界を妙な自意識とかを感じさせずに歌えるんだから、本当に独特の表現者だと思う。中村一義のすごさって、人生を正面から歌えちゃうことなのだ。

 夏の陽射しを封じ込めた、佐内正史のジャケット写真がいい。

 
1014日 (wed)

 渋谷クアトロでTHE SUZUKI meets 栗コーダーカルテットのライヴ。この組み合わせでのライヴは、昨年10月18日の川崎市民ミュージアムに続いて2回目で、今回もまず栗Qのステージ、次いでTHE SUZUKIと栗Qのセッションと続いた。

 8月のライヴを見逃したので、栗Qのライヴを観るのは久しぶり。今日は「歩く人」「サニーデイ」など初めて聴く曲が多くて、特に前記2曲では、フリーな演奏のスリリングさが痛快だった。フリージャズや現代音楽も連想したけれど、それらを吸い込んだ栗Qの個性って感じだ。「アリラン」を演奏したのには驚いたけれど、ビンテージものだというリコーダーを使っての演奏には、東アジア的な哀愁に満ちていて、思わずグッときてしまった。タイトル通り幸福感に溢れたメロディーの「うれしい知らせ」などもあり、栗Qの音楽の情感のただでさえ広い幅が更に広がった印象を受けた。40分ほどのステージだったけど、満足感は大きい。

 前半で演奏能力の高さを感じさせた栗Qは、続くTHE SUZUKIとのステージでは、異様に多い音楽的引き出しを武器にして、アレンジ能力を見せることになる。昨年の共演時に披露された曲・アレンジも多かったけれど、最初がムーンライダーズの「BTOF」ってのには意表を突かれた。この曲も栗Qとの相性が良かったし、「黒のシェパード」の盛り上がりも素晴らしかった。「Tracker」の間奏で、バンジョーからサックスへ続く展開も、このセッションならではの面白さ。昨年のライヴに比べるとややロック寄りだった気がするけれど、シンプルで泥臭いロックを身の上とするTHE SUZUKIと、非ロック的価値観をもって音楽求道者的な姿勢を見せる栗Qとの共演は、やはり圧倒的な音楽性の豊かさで僕を酔わせてくれた。

 「エレキング」ライナーの仮刷りを打ち上げの席でチェックしたりして、帰宅したのは午前1時。だから13日の日記のUPは遅かったんです、ってのは余談。

 
1013日 (tue)

 バッド・テイスト。この言葉からイメージするものというと、鬼畜系の雑誌の数々を挙げる向きが多いのではないかと思うのですが、個人的に真っ先に思い浮かべてしまうのは、消費者金融「武富士」の広告の数々です。「STUDIO VOICE」にまで取り上げられた、細川直美が変な踊りを踊っているCMを送り出したあの会社です。

 あのCMの場合、細川直美とともに5人ぐらいの女の子が一緒に踊っている点も妙なインパクトを生んでいました。細川直美というタレントの起用も、絶妙というか微妙というか妥協というか。あの一連のCMによって、細川直美が何を得て何を失ったかという問題は、語らないのが人の道のような気もします。

 そしてこの夏、武富士は新たなる刺客を送り出しました。今度は細川直美を使わなかったので経費が浮いたのでしょうか、ビーチでのロケを敢行し、フロント2人・バック5人ぐらいの女の子達が登場する広告でした。フロント、バック問わず無名のモデルです。この夏の広告に関しては、僕は3つのヴァージョンを確認しました。

 1.全員で踊っているようなポーズをとっている
 2.フロントの女の子は寝そべって笑顔、バックの女の子達はポーズを決めている
 3.フロントの女の子だけ寝そべって笑顔、バックはいない

 この3種類のうち、特に問題としたいのは2番目です。バックの女の子達のポーズというのが、片足の膝を上げ、そこに片手を置き、もう片方の手は腰に置く、そして首を後に反らせるというもので、全体としてエビぞりのような姿勢になっているのです。これは一体何なのでしょうか。今、この文章を書くために実際に自分でポーズを取ってみたんですが、不意に我に帰って泣けてきました。

 そして写真には、毛筆のようなワイルドな字体でバーンとコピーが。「さぁ! 夏だ。太陽と遊ぼう」。この場合、「夏だ」の後に句点を打っているので、文章全体のリズムが削がれているのが気になって仕方ありません。夏の開放感を強調し、広告の受け手の消費欲求を刺激するのならば、「さぁ、夏だ! 太陽と遊ぼう!!」とすべきではないでしょうか。まぁ、いかにも通勤電車のサラリーマンが車内広告を見ながら考えそうな、どうでもいい話なんですが。

 そして季節は秋。武富士にも秋がやってきました。3大紙でもよく目にする武富士の広告では、今度はレオタード姿の女の子達がポーズを決めています。また5人ぐらい、また無名。いや、夏の広告の2番目同様のポーズを全員がとり、全く顔が見えないために、無名かどうかも判断できないのです。

 不景気で多くの企業が広告出費を抑える中、ひとり気を吐く武富士。一連の広告には、何か意地に近いものすら感じます。武富士の広告が僕に与えるインパクト、それは制作者ですら予期していない種類のものでしょう。 多人数ダンスと無名モデルの起用という独自路線で、これからも思わず無意味な深読みをしてしまうような広告群を見せて欲しいものです。

 o u t d e x更新、相互リンクに「尾形了のホームページ」「カナモケン」「とり・みき について」を追加しました。

 書き忘れてたんですけど、この「小心者の杖日記」のアクセスが11日で5万を超えました。ありがとうございます。最近は文体がバラバラになってますが、文章思春期(って?)だと思って見守っ下さい。これからもよろしくお願いします。

 
1012日 (mon)

 笙野頼子「タイムスリップ・コンビナート」、保坂和志「この人の閾」、クーロン黒沢「怪しいアジアの怪しい人々」の文庫本3冊と、玉置勉強「メロドラマティック」購入。

 玉置勉強の単行本は初めて買ったんだけど、やっぱいい線でいい絵を描く人だ。まるでB級ポルノみたいな表紙はお馬鹿って感じだけど、それも彼の芸のうち。収録された作品の中には、落ちが見えてたり中途半端だったりでムラも多少あるんだけど、全体としてはしっかりしたストーリーでエロを見せている。彼の作品の魅力は、どこか退廃感や壊れた雰囲気が漂っているところで、読んでると、薄暗くて何もないコンクリ部屋の中にいるような気分にさせられる。

 でも、この単行本に入ってる「鍵」や「もう、いらない」のように、青春って感じの切ない作品を描かせても上手いってのは新発見だった。特に気に入ったのは、母子家庭の中学生の恋人同士が主人公の「たぶん、しあわせ」。男の子は優等生だけど、女の子は落第生で、卒業後はホステスになることが決まっている。別々の道に進むことになるふたりが、「俺達って…幸せなのかな」と語り合うんだけど、そのラストの場面では会話してるのに一緒のコマには出てこなくて、それが切なさを倍増。切ねー。これからもいいエロをガンガン描いて欲しい人だ。

 
1011日 (sun)

 大学時代からの友人・Rは、僕が知る最強の健脚家です。約1年ぶりに会ったのですが、やはり今回も彼女に連れられる形で、お茶の水〜皇居周辺をテクテクと散策することになりました。

写真1
 我々の母校の取り壊しを待つ体育館。在学中は一度も入ったことがなくて、卒業して3年以上を経た今日になって初めて見ました。この建物の横には新校舎が既に完成しているのですが、そちらはきっと日曜に忍び込んだりはできないんでしょう。少し淋しい。

写真2
 人の姿を牛にかえれば、サニーデイサービスあるいはKLF。皇居北の丸の広場に腰を下ろすと、空には雲一つありませんでした。耳を澄ませば、周囲からは何種類かの外国語も聞こえてきます。Rの靴先にとまったトンボは、僕がカメラを構える前に飛び去ってしまいました。

写真3
 九段会館の近く、大きなビルが立ち並ぶ中、突然現われる廃虚のような公団4棟。窓ガラスは割れ、樹木は茂り放題、建物の階段にはかつての住人が置きざりにしたと思われる荷物が埃をかぶっていました。終末後の街の光景のようで、どこか非現実的です。そして我々がいちばん驚いたのは、ここに今も数人が住んでいるらしいという事実でした。

 そして今日の結論:「写真って難しいや。」

 
1010日 (sat)

 今日でo u t d e xは1周年! でもその事実に気付いたのがさっきだったんで、更新すらしませんでした。「MUSIC」のCDレビューはいまだ5月分。6月分を鋭意執筆中ですが、この時間差はいつ埋まるのでしょうか。そんなダラけたページですが、これからもよろしくお願いします。

 さて、最近は文体も一人称も日によってバラバラなこの日記、今日は小ネタ放出DAYです。まずは文芸関係3連発。「文藝」冬号は雑誌特集、題して「Jマガジン ネクスト・シーン」ってのがシビれます。その特集も面白いんですが、今号で一番インパクトがあるのが笙野頼子の長編「百人の危ない美女」。初めてこの人の作品を読んだんですが、迂闊でした、こんなに面白い小説を書く作家だったとは。読んでる途中なんですが、「ブス」という単語の大洪水で、もう壮絶です。

 その「文藝」の特集にも編集長が登場していた「リトルモア」VOL.6には、映画「ポルノスター」に捧げた松本大洋の新作が3ページ載ってます。タルヴィン・シンのエッセイの連載がスタートするあたり、つくづく不思議な雑誌で、気を抜くと肝心の小説を読み忘れてしまいそう。「文藝」にも連載もってるしまおまほが、こっちでははるかに毒々しいのも象徴的です。

 「文芸関係の雑誌ってもうちょっと薄ければいいのに」と身勝手なことも時々思うんですが、それを実現すると「ダ・ヴィンチ」みたいになるんでしょうか。書評誌ってより書籍紹介誌なんで、個人的にはイマイチ頼りにできないんですが。11月号では、とり・みきのオールCGマンガが2ページ載ってて、斜めに割ったコマを使っての知能犯ギャグが笑えます。

 「噂の真相」11月号で目を引いたのは、「宿命 『よど号』亡命者たちの秘密工作」の著者・高沢皓司と、宮崎哲弥のインタビュー。宮崎哲弥の評論スタンスは興味深いです。「MUSIC LIFE」11月号も買ってきたけどまだ読んでないっす。

 週末と言えば忘れちゃいけないのが「彼氏彼女の事情」。2回目もオープニングが無いのはなぜ? 今回は、ドタバタ→トキメキ☆恋心→想いがすれ違って緊迫→ラブラブモードと1話の中で大きく展開したんですが、いちいち演出が巧いです。溜息つきました。願わくばこのクオリティーが最後まで続きますように。

 ここ4日ほど、広末涼子の「プライベイト」1曲しか聴いてません。もう優に100回以上は聴いてるんですが、今日からCDに入ってるカラオケを使っての歌唱練習に突入しました。これからの忘年会シーズンは、どんな罵声を浴びようともこれ1曲で乗り切りますんで、関係各位はお覚悟のほどを。

 
109日 (fri)

 エポック中原で「南京1937」を観る。三大紙でも報道されたのでご存じの方も多いと思うが、先月から会場周辺で右翼の抗議活動が続き、会場を運営する川崎市が主催者に上映の見直しを求めたといういわくつきの映画だ。今日は、会場に行ったら右翼の車が突っ込んで炎上してたらどうしようと怖々と向かったのだが、会場前には当日券を求める人が列を作り、会場は2階席まで満員で立ち見が出るほどの盛況ぶりだった。やはり40才以上の層が多いが、10代・20代の若い連中も意外なほどいた。結局、一連の事態が宣伝になったということなのだろう。

 そうした状況はさて置き、作品自体の評価だ。香港・中国合作の95年作品で、原題は「南京大屠殺」、監督は呉子牛。映画で中心となるのは、上海から南京へ逃げてきた、夫婦と子供2人の家族だ。この夫婦は、夫が中国人、妻が日本人で(この結婚の経緯についてはほとんど描かれない)、国籍によって翻弄される戦時下の家族の悲劇が描かれる。戦闘や虐殺のシーンは、凄い数のエキストラを動員していて、かなりの迫力だ。ただ、この映画の最大の難点は脚本だった。家族を描いたドラマはあまりにも凡庸で、迫力ある戦闘・虐殺シーンに比べてあまりにも貧弱。そのために、作品としての主軸すらもブレている印象だ。また、虐殺に至るまでの日本軍の描写は極めて簡単で、政治的なメッセージを表現しようとするのならば、もっと映画としての説得力を持たねばならないだろう。残念なことだが、作品としての完成度は決して高くなかったというのが偽らざる感想だ。

 しかし、家族愛を主軸としたこうした作品すら上映中止に追い込まれそうになる状況ってのは一体何なのだろう。1ヶ月も抗議活動を続けた右翼も右翼だが、それに屈して上映を中止させようとした川崎市には呆れ果てる。どんな思想表現であってもその存在自体は認められるべきだ、などと改めて書くのも馬鹿らしいほど至極当然のことを願う次第。そして、困難な状況の中、上映に尽力された「南京1937」上映実行委員会の皆さんには敬意を表したい。

 
108日 (thu)

 ブラスバンドを加えての歌合戦。それは何ものにも代え難い程の本物の楽しさだろう。
 中原昌也の「マリ&フィフィの虐殺ソングブック」は、「路傍の墓石」のこんな素晴らしい書き出しで始まるのだが、最後は、主人公が喫茶店で馬の絵を見ながら勃起する場面で終わる。東武伊勢崎線に乗ったらリオデジャネイロに到着してしまったかのような予期せぬ結末だ。物語を埋め尽くすのは、予測不可能に拡散していく思考と、落ちて行くだけのジェットコースターのようなむやみなスピード感。「起承転結」という基本はさて置き、「起承転逃」や「起起起起」といった構成にも果敢に挑戦する。美しくまとまる「物語終了ののち、全員病死」も、中年女性マリとプードル犬フィフィのフリーライター・チームの描写に大爆笑だ。

 矢継ぎ早に繰り出される、足を滑らした悪夢のような物語は、悪意・憎悪・嫌悪と、悪だらけの要素に満ちて、時折顔を覗かせる品の良さや優しさは、全部悪を引き立てるための罠。出来立てほやほやのクレープに、タバスコや味噌や下痢便をドバドバぶっかけ、自分が食うと見せかけて相手の口の中に突っ込む男、それが中原昌也だ。無理な継ぎはぎだらけの展開に見えるが、この違和感が生み出す気持ちよさは格別。そうか、暴力温泉芸者のサンプリングは文学だったのか。でも何なんだよ、「ジェネレーション・オブ・マイアミ・サウンドマシーン」ってタイトルは!

 本書がもたらすのは、純真だった子供の頃、自動車工場の廃部品の山に登った時のような興奮だ。それは、ブラスバンドを加えての歌合戦にも代え難い程の本物の楽しさだろう。

 
107日 (wed)

 今日発売された広末涼子のシングル「ジーンズ」は、同内容でジャケットが2種類、しかも片方が限定盤という泣かせるシロモノでした。「大商業資本め、いたいけな広末ファンである我々プロレタリアートから搾取しやがって!」などと怒る気はさらさら無いのですが、勘弁して欲しかったのは、店頭で見ただけではどちらが限定盤なのかさっぱり分からなかったということです。限定盤という付加価値に惹かれながらも、それを選択する術すらなく、さりとて両方買うほど彼女に夢中であったのは遠い昔の日々。最終的には、「気に入ったジャケットをレジに持って行こう、そして自分で選んだことなのだから後悔はよそう」と、人生の選択失敗時に往々にしてついてまわるセリフで自分を納得させました。ちなみに限定盤は、向かって右側を広末が見ているもので、ジャケット上部の背に「B」と入っています。私が買ってきたのは…いや、後悔はしますまい。

 ところで、「フォーカス」8月12・19日号にMITSUUの部屋に通う写真が掲載されたために、一部では広末離れが進んでいるとの報道もありました。確かに事件直後にネット上に溢れたファンの声は悲痛なものが圧倒的でした。そして追い討ちをかけるかのように、「フライデー」10月16日号はMITSUUとデート中の写真を掲載。しかし、この「フライデー」の件で注目したいのは、日曜の新宿を堂々と2人で歩いていたという事実です。これは明らかに、撮られることを承知の上での確信犯的な行動でしょう。また、「プレイボーイ」10月20日号ではなんと宮台真司と対談しているのですが、援助交際をする女子高生についての意見を求められて、「彼女たちには彼女たちなりの価値観があるのだから、一概に否定できない」という趣旨の発言をしています。ここで彼女が見せているのは、アイドルに求められる優等生的な姿勢とは一味違う、クールな一面です。以前からインタビューでは、なかなか我の強いところを見せていた彼女ですが、最近はいよいよ自分の意志を全面に押し出し始めたようです。

 そして話はシングルへ戻ります。相田毅作詞・朝本浩文作編曲の「ジーンズ」は、明るく前向きな曲で悪くはありません。しかし、このシングルで耳を奪われるのは、むしろ椎名林檎の作詞作曲によるカップリング曲「プライベイト」です。アクの強い世界を全開にした「歌舞伎町の女王」が一部で話題になっている椎名は、とても広末と1歳差だとは思えません。しかも他人への提供曲でも、漢字表記の多い歌詞、「欲して居た」などの独特の言い回しは相変わらずです。ところが、切々と歌われるこのミドル・ナンバーは、「ジーンズ」と比べても歌の影の深さ、リアリティーがまるで違っています。椎名のアクの強さが、我を全面に押し出しはじめた広末と見事に噛み合っているのです。広末も、これまでにないほど小技を駆使して歌っていて、そのちょっと無理が見えるあたりがまたいい。シンセのストリング音が安い印象なのは惜しいところですが、これまで歌われてきた人畜無害な曲と比べるに及ばず、間違いなく広末の楽曲中のベストでしょう。椎名林檎、恐るべし。

 私個人は、グラビアアイドルとしての広末涼子にはもうあまり興味がなく、シングルを買ったのも惰性に近いものがありました。しかし蓋を開けてみれば、「プライベイト」は私の今年最大のヘヴィーローテーションになりかねない勢いで、プレイヤーの中で回転しています。この曲の歌詞では、「エゴ」という言葉が溢れるばかりの切なさをもって使われています。この楽曲がA面扱いにならなっかたことを惜しみつつも、椎名と広末の、いい意味でのエゴのぶつかり合いを喜びたいのです。やはり表現は、「個」が剥き出しになっている方が面白いのですから。

 
106日 (tue)

 聖と俗の関係は文学の主要なテーマの一つだが、花村萬月の「ゲルマニウムの夜」もそうしたテーマに正面から挑んだ作品だ。主人公・朧は、2人を殺して逃亡し、かつて自分が育った修道院へ舞い戻る。そこは世間の聖なるイメージからかけ離れた世界であり、院長の性器に手で奉仕することと引き換えに、朧は修道院の農場で働くことになる。そしてアスピラントや修道女と姦淫し、気に触る相手の口の中に石を詰めて殴り、美少年に口に性器を委ねる。動物たちの糞や死体、人間の垢、そんな悪臭が漂う中で、宗教への冒涜が繰り返される。

 この物語が、神の存在を疑うだけの凡庸な作品で終わらないのは、朧がインモラルでありながら同時にモラルから逃れられない人間であるという点に尽きる。彼は気付く、自我無き反復という点において、セックスと宗教的祈りは同一の快感をもたらし、それがキリスト教で性が忌避される理由であると。上っ面の良識と科学に唾を吐き、神の無力と宗教の大雑把さを説いて神父を挑発する時も、実は殺人者である自分に罰を与えない神の無力さに苛立っている。噴き出す暴力は神への嫌悪の表れだが、それは自分が足掻いていることの証明でもある。言葉への盲信を捨てられず、身体に染み込んだ倫理や道徳を剥すことはできない。神父は臨終間際に、朧が一番神に近いと言い遺し、朧はそれを復讐だと感じる。

 正邪を併せ持つ朧の魅力は、修道院という閉鎖された共同体の中へ次第に浸透していく。この単行本に収められた連作3編は、これから書き継がれる「王国記」という長大な物語の一部だという。昂揚と冷徹さを内包し、圧倒的な熱を感じさせるこの作品の続編を待ちたい。

 
105日 (mon)

 季節の移ろいを伝えてくれるのは、まず朝の気温、そして空気の匂いです。今日、仕事をサボるために会社の屋上への扉を開けた瞬間、僕に秋を教えてくれたのはキンモクセイの香りでした。匂いは時として人の記憶を引き出しますが、それは匂いの情報が前頭葉にまで達するからだそうです。ならば、このキンモクセイの香りは僕に何を思い出させるのだろう? そう考えたけれど、前頭葉はノスタルジックな想い出など何も引き出してはくれません。少し落胆。そして、来年の秋、再びキンモクセイの香りを嗅ぐ時には、「去年は何も思い出さなかったなぁ、おかげで気の利かない日記になってしまった」と思い出すのでしょう。そして、ひとり屋上で苦笑いしたことも。

 津田雅美「彼氏彼女の事情」第6巻は、最初こそ5巻から続くサイドストーリー的な話ですが、それ以降はアニメ化を目前にして、「よっしゃぁ、こうなったら高校生の恋を正面から描いてやろうじゃねぇか、オラァ!」と気合を入れ直したと思われる展開です。当然こっちの方が楽しめます。

 TAGROさんの初単行本「アガデベベ」は、エロの皮をかぶってはいるものの、馬鹿馬鹿しいキレっぷりが見ものです。SFがちょい入った連作「歩いて車でアダムスキーで」は、彼のストーリーテリングの力量を覗かせます。個人的には、こういう作品をもっと読みたいところ。ラストの「未成年+9」の、スピード感溢れるダメさも素敵です。思いのほか複乳ネタは少なめ。

 「朝日の書評で町田ひらくが取り上げられてるよ!」と驚いたら、筆者は桝野浩一さんでした。納得。この夕刊の記事で桝野さんは「green-out」を評して、「永遠に撮影されてはいけないアンダーグラウンド映画の絵コンテを覗き見たような気持ちになる」とのこと。上手いこと言いますね。

 
104日 (sun)

 壮大な野望を達成するためには、まずは小さなことからコツコツと。部屋の中の物を少しでも減らすべく、今日は雑誌関係の廃棄作業だ。スケール小さすぎ。保存していたってことは気に入ってるモノが載っているわけなんで、分別よりも雑誌の解体作業の方に時間がかかることになる。「CUTiE COMiC」からは鈴木志保、「コーラス」からはくらもちふさこの作品を切り取ったのだが、この作業はこういう背中が接着剤で固められてる雑誌の方が楽。以前小田中さんに教わった通りで、マニア道の深さを実感だ。「ヤングジャンプ」のようにホチキス止めの場合は、10冊近くもあると当然面倒になる。この雑誌の何を保存したかは御想像にお任せしますが、マンガじゃないです。復刊後の「ガロ」は、迷ったけど全部そのまま保存。これだから結局あんまり減んないんだよな。汗をにじませて窓の外を見れば、秋晴れの空。

 さて、雑誌のバラバラ死体を捨てに行ったところ、ゴミ捨て場で「コーラス」の96年分のバックナンバーが捨てられてるのを発見する。同じ日に、同じ「コーラス」を捨てる人間が、同じ町内に2人。奇遇ではあるけど、同じ男だったら嫌だな…ってのは自分を棚に上げ過ぎだ。

 今敏監督「PERFECT BLUE」は、パーツとパーツの組み合わせが大味な印象で、僕とは縁のない作品だった。

 o u t d e x更新。「BOOK & MAGAZINE」に7冊、「EVENT」には「groovisions 秋の展示会」、「OTHE」にはMP3についての文章をブチ込み、「感想!」を相互リンクに追加しました。

 
103日 (sat)

 昼、平澤さんから電話。寝てました。夕方、マオちゃんから電話。寝てました。夜、JIMMYさんから電話。寝てました。

 勤労青年として過ごしている平日は週末を待望し、あれをやろうこれをやろうと計画を立てる僕ですが、いざ休日となるとこの有り様です。朝から晩まで何をしても自由という状況になると、かえって何もしなくなってしまうのはどういうことなのでしょうか。やはり人間、ある程度の抑圧や束縛といったものが存在している時の方が、活動意欲が湧いてくるのかもしれません。

 ベッドの枕元に足を向けて、上下逆に寝転がり、寝るわけでもなく起きるわけでもなく過ごす1日。パソコンには電源を入れてあるものの、スクリーンセーバーを表示する部屋のインテリアのような状態です。我ながらどうしてしまったのでしょう。こんな時に漠然と考えるのは、もし仕事を辞めてひたすら自由な生活になったら、僕はもう何もしなくなってしまうのではないかということです。

 今週の木曜日、会社の同期が退社するというので、同期だけで送別会をしました。地元に帰って、親の工場を継ぐそうです。手堅いような、大変なような。そういえば、日曜日に会社更正法の適用を申請した−つまり倒産した−日本リースという会社には、大学時代の友人が2人勤めていました。4年前、商学部の学生であった彼らでも予想し得ない事態だったのでしょう。同じく商学部生だった僕も、不思議な気分で月曜の朝刊の一面を読みました。この不況の御時勢、「安定」と「不安定」の境界線などとっくに消え去っています。無気力こそ最大の心理的防衛、とまでは本気で言いませんが。ねぇ。

 そして唐突に思うのは、小西康陽が素晴らしい作詞家だということです。ピチカート・ファイヴの新作「プレイボーイ プレイガール」の冒頭を飾る「不景気」は、こんな歌詞で始まります。

気のきいた男の子/ここしばらく出会わない/やさしくて可愛くてお金持ちの男の子/ほんとにちかごろ不景気
これが気の抜けたギャルたちの歌声で始まるのですから、不景気感も嫌がらせのように倍増です。ここで注目したいのは、不景気という地味な社会事象を取り上げることによって、逆に野宮真貴というキャラクターのハイソ性を印象づけるのに成功している点です。「策士、策に溺れる」といいますが、当代随一の策士である小西康陽はよほど水泳が得意とみえます。不景気も泳ぎ切っていくことでしょう。

 けれど世間の不景気なんて、今の僕にはどうでもいいのです。不景気を泳ぎ切るよりも、今はただ、ベッドの中へ沈み込んでいくように眠っていたい。心身の疲労感に溺れそうになった時のために、枕元には救命胴衣代わりにPHSを置いておきます。それで充分です。

 
102日 (fri)

 人は過去の呪縛からどれほど解き放たれることが可能なのだろうか? …大仰に書き出してみたけれど、今日から放送が始まった「彼氏彼女の事情」には、再びアニメという舞台に戻った庵野秀明監督が、やっぱりタフな表現者であること見せ付けられた。

 結論から言えばこの作品、すげー庵野チックだ。今までとは全然違うタイプの内容だってのに。気楽に楽しめるんだけど、リズムの早さ、演出の芸の多彩さには感心。画面の縦割りもまたやってたし、アニメ中にマンガも挿入してたな。テンポの早さには、「こどものおもちゃ」がやりたかったのかとちょっと思った。多用される字幕がウザかったり、雪野役の声優の力量不足が気になったりの問題もあったんだけど、お約束の「テレビを見る時は離れて明るくしてから」って注意が開き直ったかのようにバーンと出てくるとか、エンディングや次回予告が実写だとか、エヴァのパロディーまでやってるとかの悪ノリ全開の前では大した問題じゃないだろう。その一方で、有馬が雪野に告白するシーンでは少女マンガ風味をさらっと表現していた。巧いよなぁ。

 それにしても、雪野はベラベラベラベラッと本当によく喋った。本当の自分を隠して云々…という内容に、庵野監督はそんなにアスカをやり直したいのか〜と思ったんだけど、それはまぁ、かつてアスカ萌えであった僕の勘繰りということで。

 津田雅美の原作は、正直言って素直に楽しめたのは最初の1巻だけだった。そこだけが本来意図されていた物語で、それ以降はどんどんサイドストーリー化が進んでしまった気がしたし。でも、今発売中の「彼氏彼女の事情 SPECIAL」という本の庵野監督インタビューによると、月刊ペースの原作のネタが尽きた後はオリジナルのストーリーを展開するそうだ。それが毒電波であろうとも、庵野オーラをバシバシ放ちまくって、好き勝手に遊んで欲しいところ。アニメ化決定後には、津田雅美の原作にも庵野オーラの影響が見られたしね。

 
101日 (thu)

 インターネットが音楽文化に与えた影響といえば、MP3など著作権に関する問題が大きく取り上げられていますが、個人的にはもっと地味なことが最近気になっています。それはライヴツアーなどで、公演内容が先にネット上で知れ渡ってしまうこと、つまりネタバレの可能性があるという問題です。この点については、掲示板・メーリングリストなどでファン同志が検討し、一応の自主規制を敷く場合が多く見られるようになりました。

 一方、アーティストによっては、ツアーの度にネタバレ禁止例をステージ上で口にする人もいるようです。今後の活動予定について、わざわざ「ネットでバラされるから秘密」と発言したアーティストがいると聞くと、言えない話題には最初から触れなければよいのではないかとも思ってしまいます。しかも、そういう発言をしたアーティストの前回のツアーでは、ファン同志がネタバレをしないようにと生真面目なほど神経を使っていたことを知っているだけに、アーティストとファンの信頼関係とは何なのかと憮然とした気持ちになってしまいました。

 たしかに、音楽に最高の演出を施すため、作品をできる限り自分でコントロールしたいとアーティストが考えるのも当然のことでしょう。クリエーターとして、極めて真っ当なエゴの表出です。ただ、僕は同時に、音楽に「ネタバレ」など存在しないのではないかとも考えてしまうのです。音楽が「ネタバレ」によって影響を受けることがあるとするならば、それは「企画性に依存しなくても価値のある音楽」ではなく、「企画性に価値を依存する音楽」である場合に過ぎないのではないかと考えます。そして、ネタバレぐらいでは大きな影響を受けることのない、高いクオリティーの音楽を生み出しているアーティストが、ネットでの情報流布を過剰に警戒しているのを知ると、ある種の苛立ちを感じてしまうのです。

 しかし、ファンの側も、自由を唱えて自己顕示欲とともに情報を撒き散らすことは避けねばなりません。ただ、一概に情報を規制することが最善の策なのか、という点について疑問が湧いてくるのです。重要なのは、その情報を知るか、知らないままでいるかという選択を受け手に委ねる余地を与えることではないでしょうか。例えばネタバレ専用の掲示板を作り、メーリングリストではネタバレ以前に改行を多く入れ、会議室ではサブジェクトにネタバレを明記すればよいでしょう。そして、ファンの各人が自分の楽しみ方に合わせて、それぞれに情報を選択する。そうした情報の伝達形態こそが、ひとつの理想に思えます。

 ファンの母体が小さい場合ほど、抑圧的な雰囲気は簡単に生まれてしまいます。ファンの間からも、本来の必要性を取り違えて、一切の発言を取り締ろうとする人が出てくるでしょう。そして何より、こうした問題がきっかけとなって、ファンがアーティストに対して従順になり過ぎて批評性を奪われてしまい、内輪的になってしまうことを僕は懸念します。それが杞憂で終わることを願いつつも、そんな状況が生まれる前に、僕は喜んで憎まれ役を買って出たいとも思うのです。その本質において、音楽に「ネタバレ」など存在しないと言いながら。

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日記猿人
 


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