Vol.18 2000



富沢ひとし「ミルククローゼット」第1巻 (講談社)
 1コマ目では普通だった少女・葉菜の顔が、2コマ目では無数の平面となって分裂し、3コマ目ではそれが全身に及んでいる様子が描写される。そんな「ミルククローゼット」第1話の1ページ目を読んだ時のインパクトは強烈なものがあった。

 身体が細かい平面になって消えてしまう「リーズル症候群」によって異世界へ飛ばされてしまう子供たちが急増し、そしてそこから帰還した葉菜は望んでもいないのに子どもたちを救出する「ミルク隊」のメンバーにされてしまう、というのが第1巻のあらすじ。可愛らしさ・残酷さ・グロテスクさを代わる代わる繰り出して、先の展開を予想させる隙もなく読者を飲み込む手腕は相当なもので、ちょっと考えるとわからない点だらけだがそこにも伏線を予感させる。「エイリアン9」同様子供たちはドリルをはじめとして変形して戦い、異世界の生物と共生もするので、そうした描写の裏にペドっぽさを感じる僕は相変わらず生理的に受けつけない面もあるのだが。各話の冒頭の見開きで、異世界に立つ子供に童謡のような歌詞が添えられているのも、無垢とグロテスクさは背中合わせだと、強い確信とともに作者が物語っているかのようだ。

 それにしてもこのカバー。無機質な記号の羅列と、あざといのか天然なのか判断のつかないクレヨン画と歌の歌詞、省略形の単語を多用した英語のメッセージという並びは、もうかっこいいとか悪いとかいう判断すら不能だ。好き嫌いは別として、富沢ひとしの作る世界観の完成度は認めないわけにはいかない。

(JUL/31/00)



鈴木志保「たんぽぽ1−2−3」 (デザインフレックス 2000 Vol.001・BNN)
 「デザインプレックス」の別冊「デザインフレックス」に掲載された新作は、98年に「CUTiE COMiC」に掲載された傑作「ロータス1、2、3」の続編。「ぶ〜け」から「CUTiE COMiC」、そしてアーバナート展大賞を経てデザイン誌へという彼女の活動の場の変遷は、そのまま彼女のマンガ表現と世界観の独自性が既存のマンガの枠にはまらないことを物語っている。

 「たんぽぽ1−2−3」は、白と黒の強烈なコントラスト、大胆な余白の使用、アジテーションのようなモノローグの挿入、必ずしも近接しないコマ同士の複雑な配置、見開きを1ページのように見なして2ページにわたるコマを置く手法など、相変わらず彼女らしい画面構成だ。さらに、文字列の上あるいは下の半分ぐらいを消してしまう処理のほか、コマの枠線とフキダシの線を重ねたり、文章の中に文字の代わりにコマを置いて読ませようとしたりと、さらに実験の度合が進んでいる。

 そして物語は、謎の小動物「ノラちゃん」を通してひとつの存在が抱える強さと弱さを描き、日常の中で静かに続く闘いを浮き上がらせてみるというもので、そこには繊細さと勇ましさが同居していた。「ロータス1、2、3」に比べるとスケールはやや小さくなっているが、むしろ深化したと考えることもできるだろう。

(JUL/31/00)



高橋しん「最終兵器彼女」第1巻 (小学館)
 これまで意識的に避けていた部分もあった高橋しんだが、「最終兵器彼女」にはまんまとやられてしまった。連載開始時にまとめて掲載され派手なつかみを見せた冒頭2話を含め、単行本ではかなり描き足されている。

 不器用ではあるものの普通の恋人同士だったちせとシュウを襲ったのは、彼らが住む街への謎の空襲と、ちせが親にも内緒で最終兵器に改造されてしまうという不条理な現実だった。そして最初こそちせが悩んでいるのか分からないほど穏やかな日常が描かれるが、それも後の凄惨な展開への伏線。第三章「最後の日々(5)」で、追っ手を爆殺するなど思考自体が兵器化していくちせとそれに動揺するシュウを描き、続く「最後の日々(6)」ではちせの胸の手術痕を見せて、たたみかけるように登場人物と読者を追い込んでいく。そして同じ「最後の日々(6)」で幸せな将来を夢見て語るシュウに不覚にも心揺れていたら、「最後の日々(7)」で突然ちせが普通の体に戻れないと語り出す展開が待っていて、あれもまた罠だったのかと気付かされるという具合だ。

 そこかしこで「あの時気付いていれば」と後悔するようなモノローグが挿入されるのも勘弁して欲しいぐらいだが、どう考えてもしばらくはこのままアンハッピーに進行する物語の吸引力はかなりのもの。高橋しんの可愛らしい絵柄や物語のクサさはこれまで鼻についたが、こういうムチャクチャなハッタリが効いた設定だと一気に残酷な味わいを深める効果をもって物語を締め上げていた。

(JUL/31/00)



かわかみじゅんこ「ネオンテトラ」 (飛鳥新社)
 95年から今年までに発表された作品を集めた短編集。やみくもなエネルギーの炸裂や、独特のコマ割りとトーンの使い方がかわかみじゅんこの個性だと僕は認識しているが、ここに収録された作品の多くはコマ割りもトーン方もおとなしい印象だ。ならば「ネオンテトラ」は面白くないのかと言えばむしろ逆で、かなり読み応えがある。

 恋に不条理なほど突き動かされ、その衝動を抑えることなく行動する少女あるいは少年を描く作品では、理屈を飛び越えているゆえに一見わけがわからない彼らの心理が繊細に描写され、それゆえに切なさが増幅される。そして、喜怒哀楽をひっくるめた瞬間ごとの感動を描写する能力は昔から高かったのだと納得させてしまうのだ。女友達二人組と見えて実は片方がオカマだという「息もふれあうくらいにね!!」はギャグ度が高いものの、オカマとの対比によって女の子の中の性をより浮き上がらせる手腕が光っている。それにしても「息もふれあうくらいにね!!【残暑編】」のオープニングは、「こんにちわ/れい子です/ダンスの好きな16歳/――このごろ/胸がおっきくなったみたい」とひとコマごとに書いていくタメ方がすごい。

 この短編集の白眉は、「ハールを愛するヒトワ」。同棲中の男女の関係が妊娠を契機に噛み合わなくなり、それはかつての自分と母親との関係を再び子供との間で繰り返すのではないかという女の不安に原因があったことが最後で明かされるのだが、その構成の巧みさは多少都合のいい設定があることを気にさせないほどだ。トラウマや堕胎を言葉ではなく絵で抽象的に描いていく手法や、人と向かい合うことのなかった者同士の心がそっと重なり合う描写が、この物語に爽やかにして深い余韻を残すラストをもたらしている。

(JUN/25/00)