Vol.17 2000



犬上すくね「未来の恋人たち」 (大都社)
 同人誌と商業誌に掲載された作品が半分ずつを占める厚めの短編集で、なんとエヴァのパロディーまで収録されている。

 連載中の「恋愛ディストーション」が恋愛が始まってからの心理描写に重点を置いているとするなら、「未来の恋人たち」には恋をする理由そのものを問うような作品が多く収録されていて、それを気恥ずかしさを乗り越えて表現しているのが魅力だ。邪悪なネタ混じりに暴走するコメディー「橘くんオーバードライブ!」など、作品のバラエティーも豊か。そうそう、制服少女の出てくる話が多いので萌えても知らない。

 そして喜ぶベきは、犬上すくねの同人誌での最高傑作「My Little World」が収録されていることだ。かつて友人のカップルと仲良くしていた女の子が片想いをしていたのは、実は同じ女の子の方にだった…という物語は、同性愛という次元を超えて過去の失恋を受け入れていく爽やかなラストを迎える。優しいけれど静かで醒めたトーンは犬上すくねの作品における大きな魅力で、それは地球滅亡を前にした恋人たちの他愛ない日常を描いた「3丁目の夏'99」にも顕著だ。

 ちなみに13作品中、「3丁目の夏」「未来の恋人たち」「Telephone Girl」「My Little World」「夜の煙突」の5作品のタイトルはカーネーションの曲名からの引用。さすがライヴで毎回最前列にいるだけのことはある。

(JUN/25/00)



古屋兎丸「Garden」 (イースト・プレス)
 古屋兎丸が「ショートカッツ」で女子高生を描いていたのと同様に、彼の作品の多くに少女が登場するのはひとつの戦略だと認識していた。たとえば少女二人が登場する「ユメカナ」しかり、吾妻ひでお作品のカバーである「海から来た機械」しかり。しかし彼の単行本「Garden」を読み通した後では、古屋兎丸の作品群には戦略以上に内面に起因する表現上の強い必然性を感じることになった。

 読むかどうかの選択を読者に任せるため、袋閉じ製本という異例の形式でこの単行本に収録された「エミちゃん」は、そうした製本も納得してしまうほど陰惨で残酷極まりない描写が繰り返されている。多くの幼女をいたぶり殺してきた男が、その現場に出くわしてしまった少女を新たな餌食にすることで始まるこの物語を待っていたのは、破天荒なほど大きな展開だった。

 そしてもうひとつ意外だったのは、この物語で少女を暴行の対象にしたのは、作品の不快さが作者自身をも突き刺すものにしたかったという古屋兎丸のあとがきでの言葉だ。衝動とイメージを荒れ狂うままに投げつけたかのようなこの作品は、限界を感じていた作者にとっての試練であり、少女の存在もまた作者にとっての必然性によるものだった。そして「エミちゃん」は、強烈な不快さの一方で作者が突き抜けた表現を獲得したことを予感させる、ある種の爽快さも感じさせるのだ。

 初作品「笑顔でさようなら」がフランシス・ベーコンを意識したというだけあり、古屋兎丸の作品には西洋美術の影響が顕著で、「天使のフェラチオ」でも絵画を思わせる絵柄とマンガとしての内容のギャップが大きな効果をもたらしている。コマ割りの技術を求めて格闘した「エミちゃん」の後に描かれた「裸体の起源」では、楽園画や抽象画のような世界を舞台にし、スケールの大きい哲学なテーマを描き切っていた。グロテスクな絵にも、「エミちゃん」で得たある種の確信を感じるのだ。そして、少女の胸に光る石を生み出す奇術を操る「先生」とその弟子である少年の数奇な運命を描いた「月の書」では、圧倒的な完成度で世界観を読者に提示することに成功している。

 物語をもっと煮詰めることも可能なはずだと思う部分も残っているが、「Garden」は古屋兎丸の才能が規格外のものであることを証明するのに充分な短編集だ。彼が現在あるひとつのエッジに立っていることは間違いない。

(APR/03/00)



やまだないと「ビューティフル・ワールド」 (祥伝社)
 ここ数年の彼女の単行本の中で最も気に入った。死と向かい合った傑作「ero*mala」とは逆に、愛や希望といったちょっと気恥ずかしいテーマが素直にして深く胸に入りこんでくる。持ち味のフランスっぽさはもちろん漂っているけれど、舞台はフランスでも日本でもない独自の世界だ。

 主人公のアレックスがゲイだったり、アダルトビデオの男優をしていたりすることも、汚れたイメージを与えるどころか人間としてのピュアさを浮き立たせている。ここにあるのは俗と裏表の聖、偏見をも忘れさせるほどの作者の優しい視線。青空と樹々の淡くぼやけた美しさや、子供や赤ん坊なんていうものは、一歩間違えると記号的に使われて嫌味になる危険性をはらんでいるものだが、そんな雰囲気はこの作品にはまったくない。友人や家族たちの日常には人生への不安や嘆きもあるけれど、それを救うのはユーモア。温もりと同じぐらいに悲しみの重さを感じさせもすることが、「ビューティフル・ワールド」の説得力を生んでいるのかもしれない。

 1話の長さもバラバラだけど、メインのキャラクターが出ない回や抽象的な回もあったりと、やまだないとの作話の幅の広さも知ることができる。そしてどんな話でも自然に読ませてしまうのは力量があってこそ。

 世界のネガティヴな面に目を奪われて、その美しさが見えなくなってしまうなんてつまらないというメッセージが押しつけがましくなく優しく伝わってくるこの作品、本当に泣けた。

(APR/03/00)



砂「フェミニズムセックスマシーン」 (太田出版)
 カットジーンズ・アナルセックス・乳輪・腋毛・ピアスなどのこれでもかという強調、1ページに女ひとりだけを置いて周囲を猥褻極まりなさすぎてギャグ一歩手前のセリフで囲むセックス描写、そして資本主義とフェミニズムについて問いかけるテーマ。そうした作風が与える強烈なインパクトが、表現における戦略でもあることは疑うまでもない。たとえば女子高生の胸キュン青春物語である「まわりみち」も、絵柄こそ可愛い系でもテーマ自体は涼子シリーズに共通している部分があり、そうなると絵柄もコメディー的要素の強いストーリーも、逆に戦略性の高さを浮き彫りにする。

 けれど同時にそこで思うのは、それほど戦略を張り巡らせる理由は一体何なのかという疑問だ。世界のあらゆるところに存在するセックスの記号に強迫観念すら感じ、誘惑してくる女たちから必死に逃げようとする男が主人公の「BOXES」にそのヒントを見出すのは穿ち過ぎだろうか。そして実存を問うかのような不可思議なストーリーの「探偵」を読むと、砂という作家が本当に追求しようとするテーマはまだ完全には姿を現しておらず、すべては始まったばかりなのかもしれないと考えさせられた。 世界は問いかけの中に埋まっている。

(APR/03/00)



山本直樹「ビリーバーズ」 (小学館)
 「先生」の教えのもと、孤島で精神の浄化を目指し、質素な共同生活を送る男二人と女一人。男はそれぞれ「議長」と「オペレーター」、女は「副議長」と呼ばれ、互いの本名は知らない。そして、教団から送られてくる飲食物の不足と、「オペレーター」と「副議長」の接近により、三人の信頼関係は次第に変化していく。「オペレーター」と「副議長」が共有したのは、性欲に絡んだ秘密だった。

 カルト教団で俗世の汚れから逃れるべく生きている人間たちを山本直樹が描くなら、人間の悲しい性が逆に強調されてくるのは当然のこと。かたくなに信仰を守る精神的な爽やかさと、汗をダラダラと流しながら性行為に及ぶエロティシズムの対比がそれをより一層印象付ける。生真面目な人間たちを描写するために生まれる、ユーモアとシリアスさのバランス感覚も上手い。

 「オペレーター」も「副議長」も、時には教団への違和感や不信感を持つ。教団では殺人も肯定されるが、島に侵入した外部の人間を殺した「オペレーター」が、殺人を知ったもののしかたないことだと話す「副議長」の笑顔に戸惑ったりもするのだ。けれど、結局のところ二人とも教団の磁場から逃れることはできず、最後には教団の崩壊に巻き込まれてしまう。それもまた悲しい。

 大きな展開を見せる終盤はやや説明的。しかし、夢と現実が未分離の中で生きながらも、釈放のチャンスを捨て囚人であることを選ぶ「オペレーター」が描かれた最終回は深い余韻を残している。

(APR/03/00)