Vol.10 1998



水野純子「PURE TRANCE」 (イースト・プレス)
 マンガの単行本なのに左閉じ。テクノのCDシリーズのブックレットに連載されたものを収めた、ちょっと変わった単行本だが、中身の方もかなり個性的だ。

 舞台は、人類が荒廃した地上を捨て、地下世界に住んでいる近未来。病院の女院長のあまりのいい加減さに反発した看護婦の香織は、院長のせいで母親をなくした子供たちを連れて地上へと逃げる。話のスケールは小さいようで、けっこうでかい展開をしてしまう。

 この作品で目を見張ってしまうのは、その世界観の貫徹ぶりだ。可愛らしい絵柄なのに、内容は毒々しくて残酷でグロテスク。医療用具から異形の生物たちまでびっちり書き込まれているので、非常に情報量が多い。登場するのがほとんどが女の子で、男連中はみんな異形ってのも独特だ。

 終末の世界でありながら、同時にシャーマニズム的な要素まで出てくる。まるでレイヴ・ムーブメントと呼応しているかのようで、バッド・トリップで見た夢のような作品だ。確かにテクノにはぴったりのマンガだろう。

(SEP/28/98)



片岡吉乃「蝶々のキス」 (集英社)
 いつもポーッとして、良く言えば子供のようにピュア、悪く言えば吃り気味で抜けた感じのマリ。彼女と無口で愛想の悪いボーイフレンド・千廣のふれあいを、15歳から18歳までの4回の夏を通して描いた作品だ。

 気性の激しい父、日記を盗み見る母、冷淡な姉。そんな家族との絆に縛られた息苦しさの中にいながら、家族を責めることもできず、他人の心の不思議さと記憶の傷痕にマリは苦しむ。また千廣とも、はっきりと恋人になるわけでもなく、キスはしてもそれ以上は心も身体もふれあうことはない。この物語で描かれているのは、縮まることのない人間同志の距離だ。受動的ながら純粋なマリみたいなキャラをめぐる話だけに、よけい胸に痛い。

 最終話では時間軸が交錯していて、さまざまな束縛から解き放たれていく姿が描かれる。歯車が噛み合わない水車みたいに日常は流れて、心に欠けた部分を残したまま、日々は過ぎ去りものに変わって行く。河原での釣り・雨宿り・夜のブランコ・流れて行く夏の雲。夏の切ない一瞬をすくい取り、心の揺れを鮮やかに描き出している。夏のまま止まった時間が封印されたような物語だ。

(SEP/28/98)



やまだないと「MIOU MIOU」 (ぶんか社)
 オールカラーで描かれた短編シリーズ。MACを駆使してるんだけど、肌に緑色を塗ったりして、色の使い方がさらに独特になってきてる。各話のストーリの方は、ちょっと小粋で妙にユーモラスな世界。小学校に全裸の転校生が来るとか、お中元でボンテージ女が届くとか、なげやりなまでに奇想天外な話が詰め込まれてる。童心に返ったかのようなエロティシズムが美しい絵で描かれていて、これも彼女の新境地かもしれない。彼女の最近の単行本は全部読んでるけど、1作ごとにコンセプトが違っていて、つくづく停滞しない人だと思わせられる。ひたすら全裸で踊ってる話も絵がめちゃくちゃカッコいいし、ラストのまとめ方も上手い。やまだないと、ハズさない人だ。
(SEP/28/98)



望月花梨「チョコレート ダイアリイ」 (白泉社)
 可愛い絵柄と裏腹に、望月花梨の作品は怖い。それは研ぎ澄まされた感性が、鋭く尖った棘となって隠れているからだろう。ストーリの設定にはユルいところがあって、心の底から楽しめなかったりもするけど、それでも棘に触れたくてつい読んでしまう僕はマゾなのか? 彼女の作品には中学生が登場することが多いけれど、この「チョコレート ダイアリイ」に収録された作品群も、そうした思春期的な鋭さに貫かれている。他人との距離に苦しむ中に、そっと死や性が入り込んでくるのがスリリングだ。

 この短編集に収められた作品の登場人物たちは、身体的あるいは精神的に何かが欠けている。「チョコレート ダイアリイ」の矢作は記憶喪失、「とげ」のゆずりは盲目、「台風ポピー」の佐分は片足が不自由だ。愛情と憎しみが微妙なバランスで揺れ続け、やがて緩やかな着地点へとたどり着く。それは花の咲き乱れるようなハッピーエンドではないのだけれど。

 そして、鳥肌が立つような瞬間が描かれているのも望月作品の魅力だ。「とげ」で、死んだ兄の友人たちが、遺骨を粉にして妹に飲ませる場面や、「クロルカルキ」で、好きな女の子が夜のプールで泳いでいる場面には、冷たいものを頬に当てられたような驚きを感じた。美しくて、そして怖い。交通事故とか火事とか、御都合主義の展開だけは封じ手にして欲しいと願いながらも、優しくて冷たい世界を求めて、僕はまた望月花梨のマンガを読んでしまうのだ。

(SEP/28/98)



キクチヒロノリ「爆裂瞑想バキトマ道」 (青林工芸舎)
 キクチヒロノリの世界は非常に恐ろしいが、それゆえに奇妙な面白さを生み出している。彼のマンガには、グロテスクの一歩手前でとどまる独特の造型感覚のキャラと、異様な設定だらけ。「コミックバーズ」連載された「余裕の館」は、まだ起承転結という4コママンガの一般的手法の枠内にあるものの、そのシリーズも末期になると、4コマのスペースに11コマあったりして、暴走を予感させるのに充分な壊れ方になってくる。「ガロ」に掲載された、自然体のまま破綻したかのような作品群も、宇宙の向こうから届けられたようなシロモノだ。そして、単行本描き下ろしの「旅(おわらせてもらいましょう)」に至っては、とうとう「あちらの世界」に足を踏み入れてしまったかのような虚無を内包している。

 おおひなたごうの「おやつ」は、幼児マンガのようなほのぼの感覚を逆手にとったマンガだったが、キクチヒロノリの場合は、ナチュラルにポップで残酷だ。能天気さと暗黒の闇が背中合わせでもある。恐らく電波系ではないであろう人物がこういう作品を描いてる事実には、一種の恐怖すら感じてしまいそうだ。

(JUN/28/98)