Vol.8 1998



遠藤浩輝「遠藤浩輝短編集」第1巻 (講談社)
 遠藤浩輝の作品は、カラカラに乾き切ったカサブタのようだ。爪で触れたなら真っ赤な血が流れ出そうだが、今は微かに痛みを感じさせながらその身を空気にさらすばかり。その質感は、いわゆる流行といったものからはほど遠いが、普遍的なものを感じさせてやまない。

 「カラスと少女とヤクザ」では、廃倉庫に住む浮浪児とヤクザの出会いを通して、人間の弱さを浮き彫りにしていく。自分が死んだら焼かれるよりもカラスに食べられて土に帰りたいと願う少女は、自然の摂理を受け入れて生きている。そして、彼らについてまわる強者と弱者という定義付けも、また自然が生み出した残酷な摂理である。本来生きることと背中合わせで存在している残酷さを描き出した作品だ。

 大学の演劇サークルを舞台にした「神様なんて信じていない僕らのために」は、神という存在を通して今を生きること見つめ、それぞれのトラウマを乗り越えて生きようとする若者たちの姿が感動的だ。芝居の部分がクサすぎるて、物語のテーマを消化し切っているとは思えない点が悔やまれるが、これほど生き生きとしたキャラクターたちを描ける力量は相当なものだろう。

 個人的に最も好きなのは、衝撃的なラストへ展開する「きっとかわいい女の子だから」。性への嫌悪感が増す中で、親友や父親との信頼関係が次々と断たれ、沸点を越えた閉塞感は凄惨なラストをもたらす。けれど、暴力衝動が生まれる瞬間をすくいとったこの作品にはある種のカタルシスさえ感じてしまう。そして、不思議なほど暖かい空気も漂うのは、ポジティヴにもネガティブにも傾むくことのない作者の視線があるからではないだろうか。

 彼の作品は、キャラが妙に哲学じみたセリフを吐きすぎる気もする。けれど、それすらも魅力として感じられるほどの傑作揃いだ。

(JUN/28/98)



遠藤浩輝「EDEN」第1巻 (講談社)
 SFの形をとりなが人間の原罪を描く長編「EDEN」でも彼の魅力は変わらない。人間の身体を硬質化させる病原菌のために人が死に絶えた孤島で、エノアとハナという少年少女と、かつてこの島にあった研究所の職員のレインだけが生き残って生活している。人間を絶滅させかけた病原菌には、実はエノアの父やレインが深く関わっていた。そして、島の外から人が来たことにより、物語は悲壮な展開をしていくことになる。

 物語の設定は、ウイルス・政治機構・宗教など多岐な要素にわたり、非常に厚みがある。短編に比べ、哲学的な空気はさらに深まり、よりよい存在に成長したいと願うロボット・ケルビムは、人間という存在の必要条件とは何かを問うかのようだ。そして最後には正義も悪も消え失せ、エノアには罪だけが残る。ラスト7ページは切なくも美しく、そして希望さえも漂っているのが素晴らしい。感傷に流れない遠藤浩輝の筆致は、100ページを超えるこの第1話を恐ろしいまでの完成度にしてしまった。

 第2話以降では、たぶんエノアとハナの息子であるエリヤが主人公。ケルビムと旅をしながら、人間の存在・世界の意味・命の平等などを少年の視点から考えていく。まだその旅の目的や世界の設定も明らかにされていないが、これからを期待させるに充分だ。

 たった4ページではあるが描きおろしもある。一瞬意味がわからなかったが、実は深い味わいが隠されていて心憎い。また、自分の創作の立脚点を冷静に見据えたあとがきも読むに値する。

 彼の物語は僕にとっても非常に「リアル」で、こんな作家と同じ時代を生きられることは非常に幸運なことだと思う。大袈裟ではなく。

(JUN/28/98)



とり・みき×ゆうきまさみ「土曜ワイド殺人事件」 (徳間書店)
 2人の共作は、温泉・孤島・温泉列車(って?)を舞台にした推理モノ。アイデアは両者が出し合い、下絵をゆうき、ペン入をとりが担当するという形で制作されたそうだ。

 推理モノとは言っても、伏線と見せてかけて実は本筋と関係なかったり、主人公が憑依体質だとか目がやたらいいとか無茶な設定だったりで、強引なノリで突っ走るのが可笑しい。大技と小技を駆使するとりテイストに、微妙なズレで笑わせるゆうきテイストと、両者のギャグの違いを楽しむのも一興だろう。

 最初の方はギャグが詰め込まれまくっているので読むのに一苦労するが、次第にリズムが整理され、最後では2人の呼吸がピッタリと合ってくる。3回に渡るジャム・セッションを観るような感覚で楽しめる1冊だ。

(JUN/28/98)



とり・みき「事件の地平線」 (筑摩書房)
 「創」での同名の連載と、今はなき月刊誌「頓智」に連載された「くだんのアレ」を収録したもの。

 「事件の地平線」は時事ネタを扱ったギャグだが、どれも元ネタから激しく飛躍しているので、古さを感じることなく楽しめる。というか、もう飛躍し過ぎで、完全なとりワールドへトリップ。93年からの5年分なので、通してみると多少の波もあるけれど、彼のギャグのヴァリエーションの多さには改めて感服。

 「くだんのアレ」は雑学ネタ中心で、とり・みき本人が登場してくる点でも「愛のさかあがり」の路線に近い。くだん・キリストの墓・オジギビトなど、実は非常に民俗学的な視点から描かれた希有な作品だ。こういうのも彼の魅力が発揮される路線のひとつなのだが、いかんせん連載誌が発刊して1年を待たずに廃刊してしまい、読者との情報のやり取りが紙面に反映され始めた頃に終了してしまったのが惜しまれる。

(JUN/28/98)



岩館真理子「キララのキ」 (集英社)
 少女マンガに免疫が無い僕にとって、彼女の絵柄は恐ろしく魅力的だ。第1巻に登場する「おねだり天使」なんて、もう犯罪的なまでに可愛くて、あやうく萌えるところだった。人形に萌えてる場合じゃないが。

 しかしそんなことを思っていられるのも始めのうちだけ。主人公十秋の前に、10年前に死んだと思っていた友達・キララが突然表れ、次第に彼女の周囲の人間の不可解な関係が明らかにされていく。かつてキララの家にあった沢山の人形たちに秘密があるようだが、今はまだ物語の途中だ。一体誰が人間で誰が人形なのか分からず、どこまでが現実かもわからない、ガラス張りの迷路ように複雑な展開を見せている。

 ファンタジーと銘打たれてはいるが、むしろホラーのように恐ろしい。絵柄の可愛さも、僕にとっては毒を隠すための罠になってしまった。

(JUN/28/98 この文章は、同人誌『PARKING』に寄稿したものです。)