Vol.6 1997-98



安野モヨコ「脂肪と言う名の服を着て」 (主婦と生活社)
 「ハッピーマニア」を読んだ限りでは、安野モヨコは「勢いの人」という感じでそれほど印象に残らなかったのだが、この「脂肪という名の服を着て」でかなりイメージが変わってしまった。大袈裟なな描写は影を潜め、クールさが全面に出ている。彼女の描線が挙げる効果も大きく、彼女の白っぽい絵は虚無感を描き出すのに向いているのかもしれない。

 太目の主人公マユには彼女の体型を愛してくれる彼氏がいるが、そこにマユの同僚マユミが割り込んで2人の関係は壊れはじめる。そしてマユはダイエットを決心する…というストーリーは一見凡庸だが、ストーリー作りのテクニックはなかなか秀逸だ。キャラの設定や複数の伏線の絡め方、1話ごとのフックの入れ方など、かなり巧み。体型よりも精神のあり方を問うラストのまとめ方もうまい。

 強迫観念に囚われる主人公の描き方も悪くはないが、主人公よりも悪役のマユミの方が生き生きとして魅力的なのは、作者の素直な感情の表われだろうか。キャラクターの精神面をより深く描けるようになったら、岡崎京子の「リバーズ・エッジ」のようなクールな傑作を安野モヨコも生み出せるかもしれない。

(FEB/12/98)



安達哲「幸せのひこうき雲」 (講談社)
 読んだ後、作者はこれまでの人生で何かトラウマを背負ってしまったのだろうか?と、つい邪推してしまいそうになる作品だ。

 物語の主人公は、両親の不和で祖母の住む田舎の小学校に転校した小学4年生の男の子と、かつて女優を目指したものの挫折し、クラスを支配して全能感を味わうために小学校の教師になった女教師。この女教師が男の子を自分の思うままにイタズラしていく過程が描かれるのだが、これがすごい。極端なほどの間の取り方は、2人きりの教室で関係を深めていく緊迫感を見事に表現している。先を急いで読もうにも、この緊迫感はそれを許してくれないのだ。画面の多くを占める余白も、しっかりと心情表現として機能している。他のキャラクターも過剰に人間臭く、どんな人生経験を踏むとこんな人間を描けるのかと考えてしまった。

 エンディングへ至る展開にはやや早急な印象を受けるが、女性という存在への憎しみをちらつかせ、闇を広げたまま終わるラストには一本取られた気分。「大人には子供を守って欲しいよなぁ」というセリフには、この作品に封じ込められた作者の思いを感じてしまった。

(FEB/19/98)



木尾士目「陽炎日記」 (講談社)
 月刊アフタヌーンで執筆している作家の初単行本で、これまで発表された短編を収めたもの。どれも自我と性をコントロールできないために苦しむ青春恋物語で、一見かなり地味だが、読み通してもやはり地味だ。特別に派手な展開があるわけではなく、絵にもある種の泥臭さがある。それでも読ませるのは、キャラクターたちのかなり気の効いたセリフのやり取りのせいで、やや練りすぎの感もあるが、心理的な葛藤をえぐり取るように見せ付ける。また、キメの場面では、驚くほど効果的なコマ割りや構図を使ったりもする。

 現在アフタヌーンで連載中で、これまた地味な「四年生」も悪くはないが、このセンスを青春物以外にも活かして作品の幅を広げて欲しいところだ。

(FEB/19/98)



よしもとよしとも「Greatest Hits +3」 (双葉社)
 よしもとよしとものカッコ良さは、そのカッコ悪さにある。まとまらない思いをそのまま噴出させて、余計なことまで喋って空回りし、収拾がつかなくなってしまうようなカッコ悪さだ。例えば「COMIC CUE」創刊号に載ったもののいまだ単行本未収録の「バナナブレッドのプディング」もそんな勢いゆえの実験作だったのだろうし、傑作「青い車」を収録した同名単行本の解説にも同様なものを感じた。よせばいいのについつい語らずにはいられない男、それがよしもとだ。

 彼の旧作と近作を一緒に収めたこの単行本には、そんな彼の姿が満載。「日刊吉本良明」は「よせばいいのにそこまで」と思わせられる自己吐露的な場面だらけだし、「よいこの街角」や「秋の夜長」は「えっ、これで終わり!?」と口走ってしまうほど中途半端だ。どこかで見たような絵柄が御愛敬の「好き好きマゾ先生」はテーマも構成もよく出来た佳作だが、写真の貼り付けなど詰めの甘さも目立つ。

 しかし同時に見えてくるのは、多くの説明を費やすよりも、引き算の美学を追求するよしもとの姿だ。97年作品の「ライディーン」は、そんな方向性の表現の完成形だろう。そして昔も今も、微かな胸の疼きを感じさせる作家性は変わらないままだ。

 つまづきもするからこそ愛され、そして見事に成功を収めたよしもとは、マンガ界の原田選手みたいな奴だ。

(FEB/19/98)



山田花子「からっぽの世界」 (青林工芸舎)
 初めて彼女の作品を目にしたのは、「週刊ヤングマガジン」でだった。その後の洗練からは想像できないほど泥臭い、というより湿気が充満した絵柄に目が止まり、そしてあまりにも救いようの無い内容に引き付けられた。対人関係の問題をこれでもかというほど描く執念に加え、自他を問わず向けられる人間への悪意。彼女の活動の中心が「ガロ」に移り、徐々に絵柄が独特のポップさを獲得していっても、僕は彼女の作品にかなり心酔していた。

 そして彼女の自殺。突然の出来事は、あまりにも必然的と思えるだけにかえって衝撃的だった。また、それを境に、彼女の作品の受け取られ方は大きく変化した。自意識をもてあまし、自己愛の補完物を求める人たちの格好の道具となってしまったのだ。

 「山田花子最後の単行本」と」銘打たれたこの本は、彼女の単行本未収録作品を集めたもの。これまで発行された単行本に収められた作品と同様の空気に満ちている。しかしそれは視点を変えれば、彼女が作家としての壁にあたり、縮小再生産ともいうべき状態に陥っていたこともはっきりさせる。

 山田花子は最後まで山田花子であり続け、山田花子でしかなかった。その美しさと残酷さの両方がこの本には収められている。それは現実の厳しさそのままであるともいえる。

(FEB/19/98)