Vol.2 1997



犬上すくね「3丁目の夏」 (同人誌「borshch」所収)
 マンガのストーリーを組み立てるために、虚構を構築して世界観を貫徹させるのは、たしかに苦労する作業だ。そう考えれば、手軽な身辺雑記マンガを描きたくなる気持ちも分からんではないが、多くの描き手は、日常を描くことの難しさに気付いてない場合とがほとんどだ。日常を切り取る視点に、その作家の力量はシビアなほど忠実に表れてしまうのだから。

 かつて「ファンロード」でも作品を発表していた犬上すくねの個人誌は、決して身辺雑記マンガではない。しかし、日常からその一部をすくいとり、マンガに再構成する手腕が抜群なのだ。

 バイクで片足を折った男のアパートへ、その恋人が訪ねていく。彼氏の子供じみた願いに応えて、彼女は口移しで麦茶を飲ませる…たったこれだけの話なのだが、読んだ後に残る余韻の爽やかなこと。恋人同士でいるとなぜか子供に戻ってしまうことを、真夏の気だるさをからめて描き切っている。たった8ページでこれだけの表現ができるのかと驚いてしまうほど、まったく無駄がない。

 アパートの一室から、一気に夏の青空へと吸い込まれてしまった。

 今年の新刊「My Little World」も、心を醒ますアンビエント系の秀作。

(この本は、コミックマーケットやコミティアで入手可。サークル名は「ワーカホリック」)



福本伸行「カイジ」 (週刊ヤングマガジン・講談社)
 福本伸行の「カイジ」は、評判通り面白い!

 多額の借金を背負った主人公が、ある船に乗ってギャンブルに勝てば借金が帳消しになる…とヤクザに言われ、謎の船に乗船する。そこには、主人公と同じように借金を背負った若者ばかりが集められ、そこでジャンケンが描かれたカードによる死闘が始まる…といった物語。こう書くと、荒唐無稽なベタな物語のようだが、展開の上手さでグイグイ吸い込み、また緊迫した状況における心理描写や、予想外のトラブルの連発など、見せ場の連続。よくこんなの考えつくなぁと感心してしまった。ホント、いい意味での「プロの仕事」だ。

 やはりこの作者の演出の巧みさは頭ひとつ抜けてる。こんなに複雑な展開を考えられるとは、数学的思考が得意な理系頭脳の持ち主なんだろう。2ケタの計算ですら足踏みという典型的文系人間の僕は、ただ感嘆するばかりだ。



岡崎京子「ジオラマボーイ パノラマガール」 (マガジンハウス)
 「ジオラマボーイ パノラマガール」は、90年代の彼女の作品からは考えられないような、爽やかな軽さに満ちている作品だ。90年代の彼女の作品にも「軽い」ものはあるけれど、その裏には必ず深い絶望や憎悪がある。それに対してこの作品は、自分自身を持て余す10代の女の子と男の子を描いて、ぼんやりとしたハッピーエンドへと展開する。ディープな描写はなし。淡い絵柄のパズルを組み立てているかのように、ストーリーが進んでいく。

 読んでいると、なんか若かりし頃の自分を思い出して、少しだけ苦しさが混じった、くすぐったい気分にさせられた。こんな気分になること自体、作者の思うツボなんですけどね。

 それにしても、彼女がどんな経緯で方向性を変えていったのかが気になるなぁ。まだまだ岡崎を買い込まなければ。



望月峯太郎「ドラゴンヘッド」 (週刊ヤングマガジン・講談社)
 この連載が始まってからの間に、オウム事件も酒鬼薔薇事件も起きた。そうした事件が内包する時代の空気とどこかで確実に同調しながらも、そんな事件の引き合いに出すことを許さないぐらいにこの作品はディープだ。

 最新刊の5巻でも、物語がだれるどころかテンションはますます上がっている。物語の冒頭で起きた突然の大災害が何かは未だ明かせれないままなのだが、それでもストーリーに見事に引き込んでいく。極限状態の人間心理の描写も素晴らしい。元小学校教師だったおばさんのような地味なキャラにしても、望月は見事なほど魅力的に描いている。人間の善と悪の両面を受け入れて、人間心理を描く彼だからこそ出来る技なのだろう。

 また、望月のコマ割りは、意外なほど古典的な割り方をしている。それが緻密な作画とあいまって、不思議な緊張感を醸し出している。

 浮き彫りまでしてある装丁は、500円前後の価格帯の単行本としては、最も優れたものだろう。



山名沢湖「希望の泉」 (同人誌)
 ふっと現われ、そしてすぐに消える日常の中のささやかな機敏を描くことは、マンガのなかでも難しい表現の一つだ。なぜなら、一歩間違えれば退屈なだけだから。そうした表現においての現在の最高峰は、高野文子ではないかと思うのだが、講談社の「Amie」にも連載を持つ山名沢湖にも同様の資質を感じる。

 この本に収められた5本は、どれも1ページから4ページの超短編ばかり。しかも、コマは異様なほど空白の占める率が高い。描かれる人や物もそっけないくらいだ。しかし、それでも読み手の胸に不思議なほど淡く染みてくるのが彼女の魅力だ。大上段に構えた表現はここには全く無いけれど、心をかすかに揺らす物が確かにある。

 「感動させるための感動」に飽きた人にお勧めの1冊だ。

(この本は、コミックマーケットやコミティアで入手可。サークル名は「突撃蝶々」)