Vol.1 1997



新井英樹「The World Is Mine」 (週刊ヤングサンデー・小学館)
 腐るほどあった酒鬼薔薇事件に関する言説の中で、最も笑わせてくれたのは灰谷健次郎のものだった。「子供が俗悪な商業主義に巻き込まれるのは許せない」と、子供が子供を殺した事実から目を反らすために、フォーカスに八つ当たりした例の事件だ。子供が純粋無垢な存在でないとしたら、これまでの彼の文学(たいしたものではないが)が土台から崩れるように感じたのだろう。お疲れさま。そして、そんな性善説フェチの灰谷に一番読ませてやりたい本がこの「The World Is Mine」だ。今一番光ってる、いや鈍く蠢いているこの作品は、その底に流れる暴力と悪の闇の深さがケタ違いなのだ。

 脳が類人猿と入れ替わっているのか?と疑いたくなるほどの純粋さと暴力性を併せ持つ「モンちゃん」と、小心者の爆弾マニアの「ケン」が上京、中身を爆弾に換えた消化器を、町中の本物の消化器と次々にすり替える。大量虐殺を遂げたものの、やがてケンが逮捕され、その奪還に向かったモンは刑事殺しまくり。それもただ単に殺すんじゃなくて、殺される側の葛藤や苦悩まで描き切っていて、この作家の人間描写能力は日本屈指なのではと思わせる。殺す側と殺される側が、同じように魅力的なのだ。

 これが何の目的で、なぜ2人が一緒にいるのか、ほとんど説明はなし。ちらちら見え隠れするものの、全体は見えてこない。自分達を排除する社会に対しての憎悪という点では、ちょっと村上龍の「コインロッカー・ベイビーズ」を思わせるが、ストーリーの全貌はまだサッパリの状態。しかも、場面やセリフの構成にはカットアップ的な要素も含まれ、その高度な構成は読んでいて気を抜くことすら許されない。

 「愛しのアイリーン」も最初はわかりづらかったが、問題はそんなところではない。この人が描く人間の泥臭さはスゴイのだ。モンちゃんとケンのキャラはもちろん、東北の巡査、売春婦、ハンター、刑事…。言い出したらきりがないが、その人間描写の生々しさは、人間に対する愛情というよりも、深い憎悪や諦念に発するような気がしてならない。しかも、今回は以前の「宮本から君へ」「愛しのアイリーン」に漂っていた狂気を引き継ぎながら、人間のより根源的な負の面を見据えているかのようだ。いや、善と悪を区別することすら拒絶しているのか?底無しの悪意を孕んだこの作品、早く次が見たくて仕方がないのだ。

 ところで、連載当初に出てきた巨大な熊はどうなったんだ?



榎本俊二「えの素」 (週刊モーニング・講談社)
 悪意溢れるといえば、この人も忘れちゃいけない。「モーニング」で連載中の、榎本俊二の「えの素」。…このタイトルからして強制脱力って感じでしょ?シュール&ナンセンスという点は、前作「GOLDEN LUCKY」と同じだけど、さらにエログロ・殺人など鬼畜要素が増量。悪ガキそのものの父子の家庭には、いつも放屁とバイオレンスが一杯だ。人肉食も描いて、「マイナス」に負けない回収騒ぎを目指せ!



津野裕子「PALE BERYL」 (月刊ガロ97年5月号・青林堂)
 津野裕子は、ガロを活動の場としている寡作の作家。今までに「デリシャス」「雨宮雪氷」の2冊の単行本が、青林堂から出ている。

 彼女の作品の世界はいつも空間が広くて、洗練された描線と淡いトーンが透明な世界を生み出している。けれど、それは単なるさわやかさに収束するのではなく、独特のぬくもりと諦念に似た冷たさが背中合わせだ。

「PALE BERY」では、父の「死」の意味を少女が感じ取るまでの過程が、父の死に冷淡な母との結びつきを交えながら描かれている。夫の遺骨をクローゼットに放置しておく母と、「死」を理解できない純粋な娘の両方の視点を津野裕子は持ち合わせている。

 アクアマリンは父を火葬した日の青空、オニキスはあの日の喪服姿の2人、河原の白いコンクリート道は父の遺骨。夢と現実の狭間に浮かぶイメージの中で、彼女は若き日の父に出会い、そして父の「行方」を知る。

 描かれたひとつひとつのコマの鮮やかさ。そして総体として含まれる情報量の多さ。たったの12ページだなんて、読んでいる間は気づかなかった。



南Q太「TAKE THE "A" TRAIN」 (ワニマガジン社)
 南Q太は、男どもをも唸らせるほどカッコ良くなってしまった。湿った情念とは無縁の、「今を生きるのみ」的感覚で、後腐れ無しですたすた歩いていく。しかし92年から97年までの短編を収めたこの本を読んで驚いたのは、そんな彼女の姿は昔からのものだったこと。気付かなかったこちらが鈍いのだ。彼女のマンガで変わったのは、描線の太さぐらいか。

 毎回のようにセックスは描かれるが、だからって何か変化するわけじゃない。ただ気だるくて少々切ない日常が続くだけ。しかしその中の機敏を感じ取ることに関して、彼女は圧倒的に巧みなのだ。

 彼女のマンガを読んでも読者の生活は何も変わらないだろうが、不思議と癒しに近い感覚を受けとることもできたりする。それは生きることの倦怠感を共有する者の間に生まれる感覚だ、といったら大袈裟かな?



やまだないと「ero*mala」 (イーストプレス)
 彼女は今や無敵のマンガ作家だ。6本の中・短編を収録したこの単行本を一読すれば、それがわかる。

 荒さと繊細さが同居する独特のペンタッチとMAC処理によって描かれた「ero*mala」は、従来の彼女の作品とは趣が大きく異なる。舞台の雰囲気はフランスなのにキャラクターの名前は日本風という無国籍の世界で展開される、性と死と虚無が混濁した物語。どの作品にも、どうしようもない人間の性(さが)が描かれるが、それは驚くほど洒落たセンスに包まれている。生も性も死も、すべてはただそこに存在するもの。その冷徹な視点によって、闇は一層深くなり、読者は、からめとられるかのようにその淵に引きずり込まれてしまう。そしてその静謐なエネルギーは、死とエロスが背中合わせの世界を描いた表題作で静かに炸裂する。この作品だけでも読む価値は充分だ。

 また、MAC処理による微妙なブレやボカシも、彼女の作風と溶け合って効果を上げている。山本直樹と並んで、最も効果的にMACを使用している作家だろう。

 それにしても、この作家としての物凄い進化/深化は一体何なんだろう。これまでの彼女の単行本まで読み返して、唸ってしまった。