Vol.23 1999



宮子和眞/岡村詩野「音楽ライターになる方法」 (青弓社)
 そのあまりにもストレートなタイトルゆえに即物的現世利益追求本なのかと思いつつ読んだのだけれど――僕の負け。何が負けかというと、そんな斜に構えた気持ちで読み始めたのに、著者にかなり共感してしまったのだ。

 端々で感じられるのは、音楽よりも業界が好きな太鼓持ちのような便利屋ライターに対する苛立ち。たしかに多いよなぁ。そして冒頭の「音楽ライター業界」の章では、批評的視座と熱意を持った音楽ライターの登場を望むと強い調子で述べられている。これは相当に青臭い。でもあえてそれを書く心意気に僕は傾いてしまった。

 また「音楽ライターのテクニック」の章では、客観性と主観性のバランスの問題に触れられているのだけれど、これは僕が文章を書く際にさんざん悩んできた問題だ。文章の実例を挙げての比較し、その原稿の目的に合った表現にすべきだと解説する部分にも、普段つい忘れがちながら重要なことを改めて言われたようでハッとさせられた。

 もっとも、たぶんこの本を読む人の多くが真っ先に読むのは、「音楽ライターの日常」や「音楽ライターになる方法」の章なのかも。音楽ライターになる方法という点では、かつて「サルでも描けるマンガ教室」であった「持ち込み雑誌別攻略法」(あれはギャグだけど)のようにえげつないぐらいに具体的手法を紹介した方が喜ばれるのかもしれない。けれど、そうした安直な方法論よりも、熱意を具現化していく道筋を示す本書の姿勢の方がむしろ現実的であるように感じられるのだ。

 ちょっその方面の仕事をかじる者として、「日本の音楽関係の企業は、本当に音楽に熱意のある人に対してとても冷たい」という岡村詩野の重みのある言葉も肝に命じておきたいところだ。

(SEP/13/99)



大江健三郎「宙返り」 (講談社)
 この作品を読む際に僕が犯してしまった誤謬は、この作品が現実に対しての直接的な示唆を含んでいることを期待してしまったことだ。オウムという言葉が幾度となく現れるために、ついついそうした期待を持ってしまったのだが。

 教団を率いていた師匠(パトロン)と案内人(ガイド)は、過激化した信者の一斉蜂起を食い止めるために、全ての教義は冗談に過ぎなかったと「宙返り」し、教団を解散させる。それから10年の後に再び師匠と案内人は新たな教会を興そうとし、宗教的な理由以外で彼らと接点を持った人々がその活動の中枢に関って行く物語。

 このように紹介すると面白そうに思えるかもしれないけれど、上下巻合わせて1000ページ近い分量であり、さらに大きな事件で物語を誘導して行くというよりも、観念的な言葉が連ねられた対話がその大半を占めている。教団内の派閥を描く部分にしても、冷めた目で見ればずいぶんとこじんまりした話に終始しているし、四国に移転する教団と地元住民との対立も、こんなにすんなり解決してしまうとは。そうなると、若者たちのセリフがえらく大時代的であることまで気になってくる。

 結局、この作品は魂の救済といった大きな問題に直面する覚悟を持って読むべきだったのだろう。それこそ聖書を読むような気分でなくてはならず、僕はさながら現世利益を求める俗物になったかのような気分だった。

 強い吸引力を感じさせるのは、残り100ページを切ってから。泥ついた欲望を露悪的なまでに描くセックス描写と、不穏な雰囲気を孕みつつ複雑な余韻を残すラストは好きだ。

(AUG/30/99)



別冊宝島445号「自殺したい人びと」 (宝島社)
 最近はあまり読まなかった別冊宝島だけど、「自殺したい人びと」で久しぶりに手にとってみた。意外と近隣住民がさばけてる青木ヶ原樹海、今も活動する岡田有希子ファン、ドクター・キリコ事件など、不謹慎な表現だけど「キャッチー」な題材で始まり、後半では硬めの考察を織り混ぜていく編集がいかにも別冊宝島らしい。

 呉智英・朝倉喬司・与那原恵・大月隆寛らが執筆している本書のトーンはわりと一貫していて、自意識の肥大化と自殺との関係に焦点を当てた文章が目立っている。呉智英は「完全自殺マニュアル」について、日常がつまらないから自殺はポジティヴな行為だという鶴見済も、人生とは意味のある素晴らしいものだと主張する教育関係者たちも、ともに思い上がっていると威勢よく断言。朝倉喬司によるドキター・キリコ掲示板の分析は、河上イチローが「サイバースペースからの攻撃」で書いたものの詳細さには及ばず、結論が先にある印象を受けた。大月隆寛は、名指しせずに宮台真司の悪口。山形浩生によるだめ連批判は、年金などの社会的制度の維持を視野に入れている点が興味深い。ネットでは知られた存在であるとげさんや故南条あやさんの文章もあるけれど、今となっては南条さんの文章は痛々しくて読むのに辛いものがあった。

 鬱やアダルト・チルドレンであることを自分のアイデンティティーにしている人々に対して本書は批判的だ。でも、この本の読者層の多くはまさにそうした人々なのではないだろうか。そうした矛盾を抱えているからこその閉塞を感じ、また自殺という行為を突き放して分析する冷徹な文章を立て続けに読んだため、読了後にどっと疲れが押し寄せてきた。

(AUG/30/99)



週刊金曜日別冊ブックレット2「買ってはいけない」 (金曜日)
 まさに消費社会に撃ち込まれた散弾銃のような本だ。銃を持つのはもちろん左手。食料品・洗剤・化粧品・薬・雑貨の商品名を堂々と出し、それが含む添加物や合成洗剤などの有害性を容赦なく指摘していく記事は、たしかに他の雑誌ではそうそう読めるものではないだろう。

 個人的には、様々な商品で使用されている甘味料・パルスイートについて指摘されている有害性の多さに驚いた。いや、この本を読んじゃうと、コンビニに置いてある商品がみんな恐くなってくるほどだ。漠然と安全性を信じていたシャンプーや液体石鹸の危険性、有機食品を名乗りながらも実際には違う商品もある事実など、「まいったなぁ」てな気分にさせられる記事満載。ハンバーガーの乾燥ミミズ使用疑惑も蒸し返しているが、これについてはちゃんと調べてくれればいいのに。

 多くの商品の危険性を指摘する代わり、その商品を使わなくても済むような代替案を提示しているのは親切だと言える。でも時間がかかるのは間違いないし、また、安全な食品を入手するにも金がかかるのは事実だろう。この本の執筆者の座談会での発言を読んでいると、好きな音楽には時間と金を惜しまないレコード・コレクターのような人種との近似性も感じた。生活に余裕がある人間に特有の道楽っぽさと言うか。でも、食料品や日用雑貨の方が物理的必要性が高いので、この本に触発されて成分表示に目を通す人がレコード・コレクター人口よりは遥かに多くなりそうだ。僕も、自分の不摂生でアレルギーや癌になるのは諦めるとしても、子供とかに影響を残すのは嫌だなぁと考えてしまったし。

 とはいえ、この本に書かれているデータの全てが正しいのかという判断は、化学に疎い僕にはできない。執筆者座談会で指摘されている、政界・官僚・業界・マスコミ・学会という「黒いペンタゴン」に懐疑的になる必要があるのと同様に、「買ってはいけない」にもまたある程度の距離を取る必要があるのではないだろうか。重要なのは特定の情報を盲信する姿勢を捨てることであり、能動的に情報を集めて判断していくことなのだと、改めて考えさせられた。

(AUG/02/99)



文藝別冊「J文学をより楽しむためのブックチャート BEST 200」 (河出書房新社)
 文藝別冊「J文学をより楽しむためのブックチャート BEST 200」は、1年前に出た「'90年代J文学マップ」の続編ともいえそうだ。しかし、批判されたり嘲笑されたりしながらも「J文学」という言葉が定着した現状を受けて、微妙に編集のスタンスに変化が見受けられる。

 今回の本では、「真理−無意味」「アダルト・チルドレン−マザー・コンプレックス」という4つのベクトルから文学とその周辺文化の分布図を作成し、それに沿って200冊を紹介。さらに石川忠司×神山修一の対談や、中原昌也らの短編が収められている。

 しかし最も気になったのは、「J文学とはセールス上の必要性から生まれた名称である」とする、君塚太の「『J文学』という言葉は、意外としぶといと思う」という文章だった。そして表紙デザインはcoa graphicsで、表紙モデルはヒヨコアを作ってる2人。しかも巻頭を飾っているのは作家ではなく、常盤響と村上隆ときている。見上げた根性じゃないか。

 商業戦略的な側面を認めつつ、同時代的な文学を語るための視座を獲得しようと他の文化をも吸収する姿勢は、開き直りを感じるほど徹底している。そして一層挑発的に。それが鼻につく部分もあるけれど、既存の文芸評論へのこの挑戦状の行方は注視していたい。

(AUG/02/99)