Vol.14 1998



山崎浩一「危険な文章講座」 (筑摩書房)
 文章講座とは銘打っているが、巷に溢れる文章の書き方マニュアルとは根本的に違っていて、体系的に知識を植え込んでいくタイプの本ではない。書き方の細かいことなんて、漢字とカナの閉じ開きについての解説ぐらいのもの。テクニック的な部分はひとまず置いておいて、まずは文章を書かせる気にさせようというのがこの本の目的だ。文章を書くということに身構えるあまり、バランス感覚や均整といったものに拘束されてしまうことを避けるための、思考と発想のトレーニングが繰り返されている。

 表現としての文章の多様性、抽象と具体の取り入れ方、自意識のコントロール、言葉が常に含む嘘など、ちょっと散漫に感じるほどテーマは多岐に渡っている。文と心は必ずしも一致しないことを示すために、酒鬼薔薇の犯行声明文を持ちだすのも彼らしい。それに限らず彼の文章は気の利いたウイットに富んでいて、読むだけでユーモアの滲ませ方の勉強にもなる。複雑な問題を説明していても、適度にくすぐりを入れ、文章を堅くさせないのだから見事なものだ。

 そして最終的には、日本語の持つ構造的な問題にまで踏み込んでいく。読み通してみると、実は日本語の言語表現のスリルやパドラックスについて広く語った本でもあった。本多勝一の「日本語の作文技術」とはまた違ったベクトルで、国語教育的な発想から遠く離れた文章読本だろう。

(AUG/24/98)



福田和也「この国の仇」 (光文社)
表紙を開いていきなり現われるのは、グラス片手にカメラ目線の彼の写真だ。ツッコミのひとつも入れたくなるが、これも彼独特の自己演出なのだろう。

 子供の人権・男女平等・平和主義・歴史問題・規制緩和などを通して、民主主義や人権思想を批判し、国家と伝統の重要性を説くのがこの本の主眼だ。民主主義や人権思想の行き過ぎについての指摘や、「人権屋」への批判には、的を射た部分も多くある。でもまぁ、だから民主主義より伝統主義だとするのには、意図的な飛躍の匂いがするけれど。

 しかし、そんなことよりも重要なのは、ここまで腰の座った伝統主義を展開しながらも、読み手を引き込む福田の芸達者ぶりだ。暴力も肯定するリアリスト的な視点も持ちながら、語り口は目上の人々に講演しているかのようにマイルド。そして、バカ丁寧な言い回しで皮肉を言う巧妙さも、苦笑いしたくなるが面白い。この粘り気は好き嫌いの別れるところだろうが、この本に満ちているレトリックの豊かさは特筆ものだ。

 しかし、その穏やかな語り口の一方で、不意に刃がきらりと光る場面もある。「納税額と、あるいは兵役の有無などによって投票を制限することが、必要だと思いますよ」とさらりと語っておきながら、それ以上深く語ることはなく話題を変える。上手いなぁ。光ったのが、真剣なのか竹光なのか分からないのも、当代きっての確信犯・福田の深さあるいは不気味さを感じさせる。

(AUG/24/98)



噂の真相別冊「日本の文化人」 (噂の真相)
 この本って、文化人の言動や思想性を検証するっていうより、彼らの発言のレトリックとか人間臭さを楽しむためのものだと思う。編集意図とは違う読み方かもしれないけど。

 どこまで信じていいのかわからない人脈地図、小林よしのり・「教科書をつくる会」批判など、やってることは「噂の真相」本誌とあまり変わらない。ちょっと主観が入り過ぎてる点が気になるのも相変わらずだ。

 佐高信と田中康夫の対談や、宮台真司の文章から読んだんだが、両方とも切れ味が良くて、僕もすっかり毒された。とにかく、一読すると左翼的罵倒語で頭の中は一杯になる。左翼的罵倒語の用例集みたいな本だ。

 それにしても、文章では激しく批判してるのに、写真では呉智英の笑顔とか藤岡信勝の妙な顔とか使っているのには声を出して笑ってしまった。なんかいい人っぽいぞ。

(AUG/24/98)