Vol.10 1998



特集アスペクト39「歌謡ポップ・クロニクル」 (アスペクト)
 「素晴らしき歌謡曲に愛をこめて」という副題の通り、むせてしまいそうなほどの愛情に満ちている本だ。歌謡曲というジャンルの概念は諸説分かれるところだろうが、本書は大胆にも「洋楽を吸収した日本語の音楽」という定義を掲げている。ロックはどうなるのか?という疑問もあるだろうが、日本語によるローカライズの度合いによって定義されるようだ。巻末のインタヴューで近田春夫は、洋楽の官能的な部分が進化したのが日本の歌謡曲だとしているが、これはさすがの分析眼だと感心させられた。また巻頭のインタヴューが、世界をツアーした結果、濃厚な歌謡曲テイストの「モナムール東京」を発表したピチカート・ファイヴの小西康陽というのも絶妙の人選だ。

 本編は、カバーポップス・エレキと青春歌謡・アイドルポップス・J-POPなどに分類され、各章にはさながら集中特講ごとくディープな解説が並んでいる。ここでは触れきれないほど様々なトピックが取り上げられていて、いままでの歌謡史で軽視されていた部分を補おうという意志が明確に示されているのが素晴らしい。高校時代、衝動的に3枚組の服部良一作品集「僕の音楽人生」を買い、そのラディカルなまでの音楽的雑食性に驚いた僕としては、彼についてもっとページを割いてほしかったが、むしろ古賀正男について全く触れていない潔さを評価したくなった。「歌謡曲は洋楽である」という姿勢を徹底させているからだ。

 今でこそ欧米のオルタナティヴ系のミュージシャンが日本のGSを評価していたりするが、かつては日本ロックの歴史からGSは黙殺されていた。歌謡曲についてのそんな評価の変遷が記録されているという点でもこの本は興味深い。赤い鳥やガロを「ソフト・ロック」と称する点については、個人的にやや抵抗があるが…。ともあれ、大学時代に神保町界隈で歌謡曲のドーナツ盤を買い込んでいた僕にとっては、かつてそうした行動に走った理由を説明されている気分すらした。それほど歌謡曲の魅力を雄弁に語っているのだ。

 この本を読んで聴きたくなった音楽は以下の通り。キャラメル・ママをバックに服部良一作品を歌った雪村いずみ「スーパー・ジェネレーション」、橋幸夫のリズム歌謡、編曲も手掛けていた時代の筒美京平作品、鈴木慶一&渚十吾が手掛けていた渡辺美奈代の楽曲群。紹介している音楽を読者が聴ききたくなる音楽本はたいてい力作だ。この本もしかり。

(JUN/06/98)



鈴木清剛「ラジオデイズ」 (河出書房新社)
 70年生まれの作家の文藝賞受賞作にして、初の単行本。

 主人公カズキのもとへ、10年間会っていなかったサキヤが突然訪れる。小学校の頃のサキヤは威圧的で、カズキは嫌々つきあっていたのだが、そんな彼の願いを断りきれず、サキヤを1週間自分の部屋に泊めることにしてしまう。しかし、サキヤは以前とは別人のようにざっくばらんな魅力を持った男に変わっていて、2人は微妙な距離を保ちながらも、意外とうまく共同生活を送ることになる。

 サキヤが去るまでの1週間を描いたこの作品は、派手なクライマックスもなく、物語としての装飾は最小限しかない。登場人物たちもまた淡々としていて、工場でノルマをこなすカズキには、生活にとりたてて大きな不満もなければ、将来への夢もなく、サキヤが去った後もその日常は変わらないままだ。しかし、少しだけリアルな現実感が生活に与えられることになる。

 虚無感まで達しないものの、確実に存在するどこか宙ぶらりんな気分を浮き彫りにした作者は70年生まれで、僕よりも2歳年上。どこか同世代的な感覚を感じたのはそのせいだろうか。簡潔ながら場面の空気をしっかりと描く文章表現も巧い。物語に出てくるカズキの部屋のように、窓を開け放った真夏の部屋に干された洗濯物が風に揺れるのを見ているような、そんな気持ち良さがある作品だ。

(APR/07/98)



呉智英「危険な思想家」 (メディアワークス)
 封建主義者である彼の近年の文章を集めたもので、今はなき「宝島30」での挑発的な連載「人権真理教と差別」も収録している。

 第一章「オウムの托卵」では、被害者の人権救済のためにオウム信者の人権侵害を許容する発言をする人権家を批判し、第二章「人権心理教の支配に抗して」では、人権主義者・民主主義者の言動の矛盾点を指摘する。その人権主義者・民主主義者への批判は執拗なまでだ。民主主義が真実とされているがゆえに、単なるイデオロギーのひとつに過ぎないことが認識されない現状に対して警鐘を鳴らしているのだと呉は述べる。つまり人権思想・民主主義による一元的支配への批判ということだ。

 そうした現状を挙げた上で、呉はイデオロギーの終焉を唱えているが、気になるのは「その先」が提示されていないこと。人権思想・民主主義なき後の具体的方策が提示されていないのだ。封建主義者を標榜する彼の本にしては、封建主義という言葉自体がほとんどでてこないのも不思議といえば不思議。

 それにしても悔やまれるのは、あとがき「東京クーデター計画」に書かれている東京都知事選出馬計画が頓挫したことだ。人権主義と民主主義について考えるきっかけを作るため、呉自身が選挙に出馬し、「差別もある明るい社会」を訴えようとしていたというのだ。一歩間違えると電波系扱いされそうだが、選挙という大義名分のもと、「差別もある明るい社会」をスローガンにした宣伝カーで東京中を走る呉の姿、一度見てみたかった。

 そして呉は、そんなことをしても結局何も変わらないだと、珍しく弱気ともとれる発言をしている。そんなわけで、呉ファンにとって本書最大の山場はこのあとがきではないだろうか。

(APR/07/98)