Vol.8 1998



藤岡信勝「自由主義史観とは何か」 (PHP研究所)
 はっきり言って、自由主義史観研究会に関る論争には興味がない。一部の真摯な研究家を除いた大部分の「論客」たちは、歴史問題を論じているつもりで、結局のところ「自分が一番正しい、頭がいいんだ」という自己顕示欲の争いにすり変わっている。そこでは歪んだ自意識が百花繚乱だが、あいにく僕にはそれを眺めて楽しめるような趣味はないのだ。

 ともあれ、これだけ論壇の外まで巻き込む論争を仕掛けた張本人である藤岡信勝の著書を、川を源流まで登るつもりで読んでみた。必要以上にスパークする周囲の熱狂ぶりとはうって変わって、藤岡は意外なほど冷静な分析を展開する。左右のイデオロギーに傾くことなく、現にある証拠をもとにリアリズムを追究しようとする姿勢は、それが本当に貫徹できるなら、歴史家として評価されるべきものだろう。

 しかし、人間は往々にして卑下していた相手と同じ誤りを犯すものだ。そんな落とし穴には気を付けて欲しいのだが、残念ながら本書を読んだだけではその点を確かめられなかった。論者の姿勢を確かめるには、実際の行動を確認するしかない。さんざん言われていることだろうが、やはり南京大虐殺の実地検分やアジア諸国での聞き取り調査などをして、自説の正しさを示して欲しいところなのだが。

 ところで山崎浩一はかつて「週刊ポスト」の連載「情報狂時代」で、生徒は教科書に思想的な影響を受けるほど真面目に勉強をしないし、また教師もそれだけの力がないという内容のことを述べていた。そうだよなぁ、今問題になっている部分にしても、教科書ではどんなことが書かれていたかすら覚えてないもの。云々論じる前に、まずは教科書から勉強し直しですな。

(FEB/18/98)



呉智英「言葉につける薬」 (双葉社)
 ある友人は僕のことを「どうしてこの人はいつも斜に構えるかなぁ」なんて言う。ひどい言いがかりもあったものだとは言いつつも、確かにそうかなぁ…なんて気弱になってしまう繊細な僕に、ちょっと嬉しい知恵をつけてくれたのがこの本だ。

 現在では皮肉っぽい言動の表現に用いられる「斜に構える」という言葉だが、元々は刀を斜めに構えてまっすぐ相手を見据えることで、現在の用法とは正反対の意味なのだと言う。これはいいことを聞いた。次にあったときは返り討ちだ。

 しかし、この本が並みの豆知識本の類だと思うのは大間違いだ。なにせ封建主義者・呉知英の本なのだから。たしかに封建主義について解説した著書のように、常識の盲点を突くためにハッタリを飛ばす痛快さは薄い。しかし、衒学的なまでの知識の広さは相変わらずだし、底意地の悪さも全開だ。

 若者の言葉が粗野であるのはいつの時代でも当たり前のことで、問題とすべき言葉の乱れは、知識人ぶって難解な用語を用いた挙げ句に用法が間違っている場合だと呉は述べる。そんなわけで、この本は半可通たちの誤りを実例を挙げて斬りまくる。痛快は痛快だが、こんな文章を書いている僕自身も流れ弾に当たらないように気を付けなければならないのだから、本当に始末の悪い本だ。

(FEB/18/98)


大江健三郎「セヴンティーン」「政治少年死す」 (新潮社・文藝春秋)
 先日朝日新聞を読んでいたところ、「幻の大江作品 イタリアで“無断”出版」という記事が目に入った。大江健三郎が「文学界」1961年2月号に発表したものの、右翼団体からの抗議などのために一度も単行本化されていない「セヴンティーン 第二部 政治少年死す」が、イタリアで出版されているとの記事だった。その第一部にあたる「セヴンティーン」についてのみ翻訳出版の許可を出したところ、イタリアの出版社が勘違いして第二部も収録してしまったらしい。大江作品に単行本化されていない作品があるという話は以前から聞いていたのだが、この記事で初めてその題名を知ることになった。不勉強でお恥ずかしい。

 一気に興味が湧いたものの第二部は読むことができないし、とりあえず文庫化されている「セヴンティーン」を読み始めたのだが…最初の2ページを読んだだけで、ガツンとかまされてしまった。なんて煮えたぎるような衝動に満ちた作品なんだろう。自意識過剰で気弱な少年が、自分の殻を破ってくれるものとしての右翼に惹かれ、一気に開眼して行く過程を描いているのだが、その筆致の迫力たるや、少年の熱狂が伝染してしまうかと思ったほどだ。僕はイデオロギー的なものに興味はない。しかしこの作品の持つ露悪的なまでのエネルギーには、完全に圧倒されてしまった。

 「政治少年死す」は、都立中央図書館で初出誌を読むことができた。少年は右翼団体に入り頭角を現していったものの、自分の存在に疑問を抱き、かつての弱々しい自分と変わりないことに気付いてしまう。やがて団体の代表に不満を抱くようになり脱退。一人で暴走し、ついに「委員長」を刺殺、そして天皇への陶酔に溺れながら獄中で自殺する。

 真夏の広島で左翼と乱闘する場面や、広島から帰郷する列車で天皇を思う場面は官能的ですらある。そして虚無・嫌悪・高揚・陶酔・狂気がめくるめく勢いで描かれ、自殺へと突き進む心理描写で絶頂を迎える。モデルとなった社会党浅沼委員長刺殺事件からほんの数ヶ月で書かれた作品とは思えないほどの筆力だ。 この激しい熱情の渦に飲み込まれ、読んでいる間、僕は右翼少年に驚くほどシンクロしてしまっていた。

(MAR/04/98)