Vol.6 1997



チョン・キへ「帰国船−北朝鮮 凍土への旅立ち」 (文芸春秋)
 1960年、17歳にして家族で北朝鮮に帰国した著者が、94年に韓国へ亡命するまでの34年に及ぶ歴史を綴った手記。父親の決定でやむなく帰国することにしたものの、帰国船に乗った瞬間からそのみすぼらしさに日本へ戻りたいという衝動を覚え、そして以後のすべてがその悪い予感の通りに進んでいく。劣悪な食料配給制度、帰国者への差別、無実のスパイ容疑での逮捕、炭坑での重労働などなど、これでもかというほどに悲惨な生活ぶりだ。精神主義的であり、実現不可能な国家政策によって、不条理な苦しみを受ける帰国民の生活の描写には、強烈な恨み節が満ちている。

 こんな本を読んでいると、もし帰国せずに日本に住み続けていたら…と考えてしまうのも人情。人間の運命なんて、ちょっとした判断ミスで奈落の底に落ちるという見本みたいなものだ。そして、帰国したのは彼ら自身の判断にせよ、そうした状況に彼らを追い込んだ日本での朝鮮人差別に複雑な心境になった。

 しかし。そんな考えもふっ飛ばすほどのこの本の欠点が、最後になって現われるのだ。筆者は、北朝鮮での生活苦に追いつめられ、中国に行って働いて生活の基盤が出来てから家族を呼ぼうと考え、亡命したという。しかし、そんな実現不可能な理由で亡命するのかよ。だいたい、残された家族が亡命者の家族として迫害されるのは最初から明らかだ。妻の他に5人の子供、しかもその1人は寝たきりだというのに。中国へ逃亡してから韓国に亡命するまでの状況もほとんど描かれていないし、中国に渡ってから親切な男に出会うくだりも話がうますぎる。そんな見方をし始めると、日本を追憶するお涙頂戴の描写や、帰国者なのに出世したという自慢話も鼻に付いてきてしまった。訳者は、亡命の理由に関しては筆者の心情を汲んで欲しいとあとがきで述べているが、それにも限度があるだろう。最後の最後で脱力してしまった。

(JAN/13/98)



町沢静夫「普通の人の中の狂気」 (海竜社)
 精神科医の筆者の診てきた臨床例を通して、現代人の精神病理を解き明かす本…のはずなのだが、どうもイマイチ内容が薄いような気がする。典型的な症例を挙げながら、ありふれた分析を付けたという感じで、明確なテーマを決めずに思いつきを書き留めたような文章が続くのだ。少子化、学歴社会、家庭の崩壊など、挙げられる原因も紋切り型という印象を受ける。

 ところが、その町沢の歯切れが俄然良くなる部分がある。いわいるカウンセラーと言われる立場の人間への批判だ。彼らは心理療法家でもなく、性善説を信じる日本のロジャーズ派の悪しき影響を受けた人種であるとして、突然テンションを高めて批判を開始する。「本人の意思を無視しても治療が必要な場合もある」と、人権派も一刀両断。朝日新聞を敵に回すことも恐れない論調だ。

 酒鬼薔薇を診たカウンセラーが彼の狂気を止められなかったり、家庭内暴力を振るう子供を理解するようカウンセラーに言われていた父親が子供を殺したりと、カウンセラーの現実的な効果を疑わせるような事件が続いているのも事実。しかし、では精神科医がどこまで人を救えるのかという問題になると、僕には正直よくわからない。治療のためには相手のプライヴェートにまで深入りしなけれない精神科医という稼業の苦労が垣間見える本ではあるのだが。

(JAN/13/98)



宮台真司・藤井良樹・中森明夫「新世紀のリアル」 (飛鳥新社)
 97年の論壇は妙だった。なんでオヤジ連中が皆してエヴァを批評しているのか分からなかったし、その姿も、理解できない若い衆を無理矢理自分の理解の範囲内に押し込めている印象だった。

 この本でメインを張っているのは、その論壇でことあるごとに叩かれていた宮台真司。フィールド・ワーカー肌の宮台と藤井に、ご意見番の中森といった感じの布陣だ。

 論じられるテーマは、オウム援助交際酒鬼薔薇エヴァなどなど、もはや90年代の定番ネタとなったもの中心。まだそんなこと言ってんの?という気もするし、正直なところ、援助交際やテレクラも宮台の著書で散々読んだので食傷気味なのだ。ネタの使い回しじゃん、って感じで。

 ともあれ、オウムと援助交際の根本は一緒で、自意識の処理が出来るか出来ないかの違いだという考え方は面白い。イケてる・イケてないという区別の仕方も、完全な自己実現が困難な社会を象徴しているという。そしてこの先には、社会が複雑化・分散化した結果、他人に迷惑さえかけなければ何をしてもいいという、まったりとした未来が待っているらしい。確かにそんな気もするし、自分に危害が無ければ社会がどうなってもいいや、なんて考えてる僕自身がそんな時代が来る証拠なのかもしれない。

 しかし、この本で語られる内容は、僕にとってあまり「リアル」ではないというのも事実だ。3人の視点はあくまでも社会に向けたものであって、僕のような個人的な問題にこそリアルを感じる人間とは、かなり「リアル」に相違がある。いわば宮崎駿と庵野秀明の指向性の違いのようなものだろうか。しかし、この本で述べられているように、共通認識となる基準を喪失した社会ではそれも当然のことなのだろう。

 ところで、この本で初めて藤井が元新左翼の活動家だったことを知った。宮台も自著で自分の生い立ちを繰り返し紹介しているし、自分の経歴を吐露するこの2人には、なんかすごく素直な印象すら受けてしまう。それに比べ、いまひとつ正体が見えないのが中森。そう考え出すと、フィールドワーカーの宮台や藤井が、中森の論理の補強に都合よく利用されているようにも見えてくる。中森の根っ子の見えなさって、やっぱり不気味だ。

(JAN/13/98)