Vol.2 1997



柳美里「家族シネマ」 (講談社)
 そうか、こういうのが現在の日本の純文学なのか…というのが、表題作を読んだ正直な感想。人間に対する突き放した視点が、強烈にこの作家の個性を匂い立たせていて、読んでいてフラフラしそうだった。こんな感覚、かつて中上健次を読んだ時以来だ。

 この単行本に収録されている作品の中で最も印象に残ったのは、表題作よりも「潮合い」の方だった。転校生をいじめる小学生を描いたこの短編は、異常なまでに心理描写が巧みだ。いじめる側、いじめられる側、そしていじめを隠そうとする側。なぜこれほど卓越した描写が出来るのだろう。才能なのか、あるいは彼女の生い立ちが育てた感受性ゆえもなのか。

 ただ、酒鬼薔薇とその両親に対する最近の彼女の発言は、すこし首を傾げたくもなる。なんか妙に現実味がないことばかり言うなぁ、という印象だ。それでも、例のサイン会中止事件以降、柳美里という存在が妙に気になって仕方ない。「フルハウス」も読もうかなぁ。



阿部和重「インディヴィジュアル・プロジェクション」 (新潮社)
 日頃本は読んでも小説は読まない僕が、この「九十年代新文学」(帯より)を理解できるか不安だったが、読み出すと止まらなくなってしまった。こんなこといつ以来だろう。日記形式で進むこの物語を読み始めた時には、このまま日常の書き付けばかりで終わるのか?と不安になったが、それがすべて物語の伏線だったと気付くまでそう時間は掛からなかった。まずはこの辺でビックリ。そして、「道場」と呼ばれる組織や、ヤクザ・不良といった何組もの敵を相手にして展開するスリリングさ。加えて、その「道場」が、たんなるペテン師の思いつきから始まり、カルト組織へと発展する過程の面白さなど、読者を引き込む仕掛けだらけだ。

 ただ、物語の終盤、今までの謎が実は錯乱状態による幻覚だった、というオチの安易さには首を傾げた。いや、僕が深く読み取れないだけで、本当はそうではないのかもしれないけど。また、「九十年代新文学」とはいうものの、そんに目新しい物なのか、という疑問も湧いた。極めて古典的なストーリー・テリングの手法に忠実だし。確かに、物語を貫く暴力性や、渋谷の風俗の描写に見られる過剰な情報量は、個人的には新鮮だったのだが。

 それでも、二重のエンディングによる「落とし方」には意表を突かれた。文体のクールさも、この本の魅力のひとつだ。なにより無駄がない。詳しいことは、読んで見てくださいね。損はしないから。



町田康「くっすん大黒」 (文芸春秋)
 僕は、今まで彼の音楽や文章をいまいち楽しめなかったクチだが、この本は一気に読んでしまった。町田康の文章は一文が妙に長いのだが、その独特のリズムに慣れると非常に気持ちいい。こういった文体を操れるには、実はかなりの力量が求められるに違いない。彼はそれでスイスイ読ませてしまうんだから。そして主人公は、細かいことは気にしないぐーたらな男で、つまり町田そのものの。これがまた魅力的で、つまりは町田の魅力ということか。その主人公が出会う他の登場人物は、居そうで居ないタイプの奇人ばかり。こんな人間たちを描ける町田は、普段からこんな人種に出会うことが多い宿命なのか、あるいは観察眼の鋭さのなせる技なのか。

 本の帯では、福田和也が作家・町田康の文学史的位置づけについて論じているが、そういうことついては僕はよくわからない。それでも、貧乏臭くて泥臭い物語を、とぼけたユーモアで包んで語る巧みさには、すっかり魅せられてしまった。

 それにしても、僕もこの物語の主人公のようにその日暮らしができたら楽だろうなぁ。無理なんだろうけどさ、この細い神経じゃ。